血が流れ、身体は外へと向けて開かれた。反転する苦痛。そして快楽。
Perfectus
4.
身体の高ぶりが去ると、死臭が先程よりも濃くなったように感じた。
暗く淀んだ部屋の隅に先程と同じ形で屍が転がっている。
――こんな場所で「処女」を抱いたのか。
(しかもそいつがこの惨状の根本原因でもある。)
少し嗤う。
すると傍らで、エンヴィーがむくりと起き上がる気配がした。
己が人外の存在とはいえ、人間の女に慣れたグリードは一瞬、どういう反応が出るとかと見守る。
「おい、大丈夫か?」
「は?何が?」
乱れた髪を直そうともせずぼんやりと背を丸め、明らかに不機嫌そうな顔。
「…その、痛かったんだろ。」
ホムンクルスの五感は基本的に人間と同じだ。
少年のような身体の中心に熱く柔らかい部分があった、その感触がすぐにも蘇りそうになるのを意識から振り払う。
だが相手は一瞬きょとんとした顔をして、その後くすりと笑った。
「何いってんのさ。あんなの、どうってことないに決まってるじゃん。人間じゃあるまいし。――殺されても生き返るんだよ?」
「それはそうだけどよ……って、いや待てよ、そういうモンなのか?」
あまりにあっけらかんとした答えに、間抜けな声が出る。
「グリード、あんたは人間と一緒にいすぎだ。」
エンヴィーはあざ笑うようないつもの口調で言って、立ち上がろうとした。
だが途端、う、とくぐもった声を出し顔をしかめる。中腰の姿勢のまま視線が下に落ちた。
手で太ももをぬぐう仕草、その指は濡れていた。
グリードはそれが何であるかを一瞬遅れて見た。僅かに朱の混じる白濁した液体。
「うわ、汚いなぁ。やっぱお前なんかとやるんじゃなかった。」
目の前で立ち上がる白い身体。
「痛かったし…。この屋敷古いから、下まで行かないと水が使えないんだよね。やだなぁ。」
脚の間、先程の結合の場所から、快楽の残滓が流れ落ちていく。
ゆっくりと流れていく液体をみながら、グリードは奇妙な感覚に全身がざわめくのを感じた。
ホムンクルスは子孫を造らない。
流れ落ちる精液にも生命はない。
それでよい、と思っていた。
これまで何人もの女に精を流し込んできたが、その行為を空しいと思ったことは無かった。
熱く熟れ、めくるめく間に変わり老いさらばえていく人間の女達。その一瞬を捉え、欲望のまま求め貪ることは快楽以外の何者でもなかった。
むしろ不毛な液体を注ぎ込むことで、豊饒な肉に刻印を刻み、征服しているような歓びすらあった。
だがこのとき、ふっと、意識の闇からいいようのない混乱がわき上がってきたのだった。
(俺は…何をしているんだ。)
(いや、そもそも今まで何をしてきた。)
偽の男と偽の雌雄同体。
しかも同じ創造主の魂を分けた兄弟同士――全く無意味で不必要な交合。
唐突に己の性の、そして生の、その限りない不毛さが意識されたのだ。
強欲、男はこれまで欲望のままひたすら突き進むことを行動原理とし、疑問や内省とは無縁のまま生きてきた。
だがこのとき長い一生の中で初めて、自身を根源から揺るがすような問いが訪れたのだった。
金が欲しい、女が欲しい、名誉が、地位が欲しい。
――だが何故欲しい?
誰のために?
何のために?
………そもそも、人間ではない俺が何故、人間の女を求める。
人間どもの世界の、地位や名誉に執着する。何故。
束の間、深淵がぱっくりと目の前に口を開けたような感覚に支配される。
それは不愉快な余韻を男の中に残した。
無意識のうちにだが、問いの回答を知っていたからだ。
(それは所詮、父の手の内の中にいるから。)
(…ヒトの身体を欲した父。人間の欲望を模倣した父。)
(俺はその欲望の、更なるコピーを生きている――)
「おい、グリード?どうした?」
声がして、はっと我に返る。上からのぞき込む赤い瞳と視線がかちあった。その切れ長の瞳が自分のものとよく似ていることを今更ながら男は認識する。
(濃い血の者同士で交わることを人間達は何と呼んでいた?)
(――インセスト、近親姦。ソドムの民も犯した罪。昔誰かが、話していた――)
無意識のうちにすがるように腕を伸ばしていた。側に立つ細い身体を引き寄せる。
脳裏から不吉な予感を追い払いたかった。言語化しないことで精神の均衡を取り戻そうとしたのだ。
相手は落ち着かない様子で身じろぎしたがもう抗わない。
跪くようにして太腿に口づけた。丁度最初のように。
「もう一回くらい、やるか。」
答えを聞く前に白い脚に熱い舌を這わせ、先程の交合の余韻を舐め取った。その苦い液体が自分ものであることなど構いもせずに。
よくそんなの舐めるね。素っ気ない言葉と裏腹に吐息はすぐに湿り気を帯びる。
答えずに後ろを向かせ、そのまま舌を膝の裏から腿へと上に這わせた。
身体の中心を再び探り当てると、触れた身体が震え、喘ぎ声が漏れた。がくりと膝が落ちるのを力強く受け止め、憑かれたように柔らかい粘膜に舌を差し入れる。
独特の苦みに混じり、エンヴィーの体内からはまだ強い鉄分の味がした。
血の味――人間と同じ。
*
「うわ、体中べたべた。最悪だぁ…。」
「これ使っていいぞ。」
とっさにあたりに拭くものが見あたらず、床に脱ぎ散らかしていた自分のシャツを渡してやった。礼も言わずにエンヴィーは受け取り眉根を寄せたまま拭き始めたが、ふと、手を止めて男を見た。
「あんたさぁ、人間といつもこんなことしてんの?」
「まぁ、ときどきな。」
「男とも女とも?」
「…いや、男とはまだ無いな。」
「ホムンクルスとは?」
「ねぇよ。てめぇが初めてだ。」
「へぇ…。」
何気ない口調を装っていたが、その頬が緩み、かすかな微笑みがさしたようにみえた。だがグリードの視線に気づき表情を慌てて引っ込める。その後、また無心に汚れを拭きはじめた。
(…ん?今のは喜んだ、のか?)
最初に感じたのと似た違和感が男の胸をかすめる。
血を見たにも関わらず、あたかも何事も起こらなかったような無頓着さを示したさっきの反応から、抱かれたことなど何とも感じていないのだろうと考えていた。
それが、何気ない台詞にあまりにも素朴な表情を見せたから少し驚いたのだ。しかも人間の女なら特にありがたくもないようなやり取りのあとで。
俯く頬に長い前髪が仄かな影を落としている。口元にもう笑みはなかったが、恐らくは兄弟の誰もがみたこともないであろう穏やかな表情。一方的な男の欲に身体を抉られた経験が、彼(彼女)の中で錬金術のように別のものへと変化しつつあることを、それは示していた。
グリードはまだ、その表情が意味する全てを理解してはいない。ただ、胸の奥深く何かが疼くのを覚えた。情欲ではない別の感覚。だから無言で傍らに座りこみ、さり気なく身を寄せるようにして背を抱かずにはいられなかった。およそ感傷と縁遠い男には珍しい行動。
「今度は何だよ…」
「しっ、少し黙ってろ。」
怪訝そうな瞳の相手を制して半開きの唇にキスした。先程の行為の最中に口づけたかどうか思い出せない。
とりあえずこのときは少し疲れていたから、純粋にゆっくり触れるための接吻をした。それが返って良かったようだ。
唇が離れたとき、目蓋がうっとりと伏せられていたのを見た。一瞬遅れて目を見開き、はっと我に返ったような表情。濡れた唇をぬぐい居心地が悪そうに視線を彷徨わせる。のろのろと身体を引き離す。
「これも初めてか?」
「…その見下すような言い方、やめろよ。」
無粋な問いに相手は眉間にしわを寄せ、不機嫌そうな顔で尖った声を出した。だがそれと裏腹に耳がみるみる赤くなる。そのうちに頬まで。見てるこっちが恥ずかしい、といいたくなるような反応。
「別に…見下してねぇよ。」
奇妙にこそばゆい感覚に包まれながらグリードは頭を掻いた。そしてようやく理解する。
女を知り尽くしたつもりでいた自分が妙に調子を狂わされるのも、先程から何度か感じる違和感の原因も、あまりにも相手が真っさらすぎるせいだということを。
生きてきた歳月の長さにも関わらず、「仕事」で見せるそれなりの有能さや冷徹さ、底なしの残酷さにも関わらず、どこかが驚くほど子供じみているのだ。いつまでも成熟することのないその身体のように。
「見下す訳ねえ。こんなんいばることでもねぇしな。ただ…」
ふと、あることを思い出す。
「ただ、何?」
「いや、どうせ人間に化けなきゃならねぇなら、こういうのも含めて色々経験くらいしとけってこった。例えばさっきのメイド、あれはいただけなかった。」
「それはこっちのせいじゃないね。モデルにした女がああいう外見なんだ。」
「外見じゃない。なんてぇか…偽物くせぇんだ。てめぇの言ったとおり俺は無駄に人間じみてるからな、一目見ると大抵、そいつがどういうやつか、何考えてんのか、何となく察しがつくんだ。中からにじみ出てくるモンがある。だが、あのメイドは人形みてぇだった。少なくとも人間の女じゃねえ。それはお前があらゆる意味で女を知らねえからだ。」
そう言いながらも、まあ、俺と一度寝たからって大して何かわかるもんでもないが、と思っていたグリードは、ある意味、どこまでも男だった。
少なくとも彼は、苦痛とそれが反転した快楽に薙ぎ倒されるあの瞬間を、与える事は出来ても理解することはない。
ただの一度でも他者の欲望をその身体に引き受けた者が、いかなる情をその身に育むかを知らない。
「やっぱりお前、頭に来るよ。」
エンヴィーが赤い頬のまま、ふて腐れて頬を膨らませる。反論はしなかった。
その代わりに、さっきキスしたとき息が臭かったと全然関係ないことをあげつらい、八つ当たりをした。
「人に偉そうなこという前にさぁ、歯ぐらい磨いたら?」
だが、尻上がりの語尾には甘い響きがある。本人は自覚しているのかいないのか。
「…ま、頭に来るんだったら、それこそ負けねえように、色々学習しろや。」
グリードは苦笑した。
続く
【作者後記】
すいません、あと一話だけ追加させてください…υ
うっかり長くなってしまった。
ご覧の通り管理人は、若気の至りなエンビの初々しさに、何だか妙に夢見ちゃってます。恥ずかしい…///(でも書いちゃう。)
もう私の中では、残酷なゲテモノちゃんなくせに、実はお話好きの愛されたがりちゃん、しかも自分でそれを気づいてないツンデレのエロカワイイマーメイド… (;´Д`)
…みたいな妄想がすっかり膨れあがってしまってます。(いや、それでも悪の幹部なんですけど。それは忘れてないんですけど。)
グリードの描写はそれっぽくしようと頑張ってるつもりですが、この回は妙に哲学的になっちゃって困った感じです。私の頭の中ではエンビがナレーター役をやってくれないので、結果、彼が状況描写をやってしまい、妙に内省的な雰囲気が出てしまった。えー…でも別に彼の行動原理がこれで揺らぐわけではないです。ただ、ちょっと疑問に思い、次の回でまた元に戻る。ただしそれはお父様との決別の序章であった、みたいな感じでいければと。
あと、ソドムと近親姦が云々のくだりですが、一番有名なのはソドムから逃げたロトのお話だったかと。
逃げる途中、妻が後ろを振り返り塩の柱となってしまい、父と生き延びた娘は子孫を作るために父と…という話があります。
ソドムの住人がやっていたことは色々あるみたいですが、よく知られてるのはいわゆるソドミーです。今でもア○ルセックスは英仏語でこう呼ばれていたかと。(どうせなら、この点も合わせればよかった…のかなぁ。←殺)
とまあ、余談でしたが、そんな感じで精進します…。