give me your body and soul

Perfectus

5.

「それよりさ、時間がないよ。早くこれ、ぶっ壊そう。丁度良い具合に雨も止んできたし。で、肝心のブツは?」
「屋敷の裏手の納屋に隠してあるぞ。雨よけもしておいた。」

身体を洗い服を着ると、先程までの経緯がまるで冗談みたいにエンヴィーは頭を切り換え、てきぱきと動き始めた。面白ぇなこいつ、とグリードは素直に感心する。随分長いこと生きてきたが一緒に仕事をしたことは数えるほどしかなかった。

「言ったとおりのヤツ、持ってきたよね?」
「もちろん。東部の鉱山で使ってる特上の爆薬だぜ。岩盤ふっとばすためのもんだ。」
「上等だぁ。導火線と雷管も揃ってる?」
「ああ、これだ。」

手際よくエンヴィーは爆薬を仕掛けていく。もう何度もこんなことをやっているのだろう。この柱とこの柱にこのくらい置けば天井が上手い具合に崩れる、と物騒なことをつぶやきながら躊躇いなく爆薬を仕分け導火線をセットしていった。さり気なく問題のレリーフの側に多めの量を置くのも忘れなかった。
エンヴィーのシナリオでは、レリーフは爆薬による華々しい集団自殺の「ついでに」跡形もなく粉砕されたようにみせかけなければならない。だが、一番壊れて欲しいのは屋敷でも人々の遺体でもなく錬成陣のあるレリーフなのだ。二人が思いがけず身体を重ねる引き金となった、あの巨大な石版。

「唯一の誤算はここのやつらに予定より早く死なれちゃったことだよ。爆破の時にはまだ何人か生きてる計算だったのに、半日も前に勝手に全滅しやがった。」

作業をしながら無駄口を叩く様子は「仲間一えげつない」と評されるいつものエンヴィーだ。それなりに有能だがどこか詰めの甘いところも変わらない。

「ここがセントラルでなくて良かった。あいつら、最近医者を使って検死とかいうのを始めたんだ。死体を調べれば爆発の時に生きてたかどうかなんてすぐにわかるらしい。その点、ここはそういう心配なくていいね。ド田舎だからさぁ。」

笑いながら側に寝ている死体の胸をまさぐり、ライターを取りだす。そして勲章がいくつも連なる男の軍服と傍らに転がる銃にちらりと目をくれた。

「犯人役はこいつだよ、元陸軍大臣殿。現役の軍人で爆薬の知識もばっちり。絶望したこの男が銃を一階で乱射し、そのあと二階に上がって爆薬を仕掛け、中から導火線に火を付けた…と。」

そして実際に導火線に火を付け、楽しげに叫んだ。さあ今の内に逃げろ。


窓から力の限り跳躍する。
着地した瞬間、轟音を立てて二階部分が屋根と共に吹っ飛んだ。
爆風に煽られ転びながらも逃げおおせた二人が振り返ったとき、屋敷内の何かに引火したのだろう。ドン、と更に派手な音がして垂直に近い勢いで炎が吹き上がるのを見た。

「はっはぁ、火の柱だ。」

傍らで見上げながらエンヴィーが笑う。屈託なく、本当に愉快そうに。まるで手の込んだ悪戯が成功した子供のような顔で。

「やりたい放題やって最後は木っ端微塵だよ。儚いモンだね。人間なんて。」

その子供のせいで絶望の淵に立たされた人間達の、狂乱の宴の跡が瓦礫となり炎と共に燃え上がる。

(狂気と、強欲。そのなれの果て。)

グリードは傍らにたたずみ、腕を組んだまま無言で見つめていた。
折り重なり倒れる死体の生々しい拷問の跡、晩餐会の食べ残しと夥しい酒瓶、いかがわしい行為の跡が残る大広間、血と汚物にに汚れた床。その全てが脳裏に蘇る。

男は己が強欲の赴くままに生きてきたと思っていた。だが正直なところ、これほどまでに徹底した欲望の氾濫を初めて見たと感じた。弱い人間達の所業に、不覚にも圧倒された。
極限状況、凝縮された最後の瞬間、全てを欲するはずの己ですら、咄嗟には考えも及ばぬすさまじい密度の暴力と劣情の炸裂。
極まり狂気の域にまで達し、そして消滅へと向かった。
――――虚無へと還ったのだ。

それは最早、欲望と呼びうるものなのか、それとも、

「…何故、奴らは死んだんだ?」

我知らず問いが口をついて出る。

「お前、自分で手を下すつもりだったんだろう?エンヴィー。それなのに先に死なれた、と言っていたな。」

「ああそうだよ。奴ら、勝手に絶望して死んでいった。死ぬ前にやりたいことをやり尽くしてね。」

小馬鹿にしたような口調で、愚かな人間の意志や意図などどうでもよいと言わんばかりの熱意のない答えが返ってきた。
しかし強欲を原理とする男の胸に生まれたわだかまりは解けない。
異様にあっさりとしたエンヴィーの回答にもひっかかりを感じていた。

人間とは皆、このような狂気にも似た欲望を抱えて日々、短い生を生きるものなのか?
それとも、残された生への絶望、限界の自覚こそが爆発的な欲求を作り上げるのか?
しかもその結果、わざわざ自ら死を呼び寄せた。命を縮めた。
――――まるでそれこそが、究極の欲望であったとでもいうかのように。

(…欲望って何だ。)
(なあ、親父殿、あんたは俺に何を望んだ?)


今は既に砕け散ったであろうあの錬成陣を見たときから感じていた奇妙な感覚が消えない。百年以上、疑問もなく生きていた今になって唐突に存在原理が軋むような不快さ。
欲望の先に、虚無がぱっくりと口を開けたのを見たからだ。

丁度さっき情交の後、不毛な液体を不毛な身体に注ぎ込んだと感じたように。

そのときだった。

「あ、そうだ。」

グリードの胸中など知る由もなく、目の前でエンヴィーが何かを思い出したような顔をして手にさげていた袋を広げた。先程導火線を入れていた麻袋だ。

「なんだお前、そんなもの持ってきたのか。」

グリードの問いには答えず、エンヴィーは無造作な手つきで袋の底を掴みひっくり返して上下に振る。炎上する屋敷に真昼のように照らされた敷地内の芝生の上、ぽとりと小さな影が落ちた。

「…なんだそれ?」

そこにいたのは手のひらほどのサイズのトカゲだった。古い屋敷によく住み着いている類のものだ。グリードがいぶかしがる中、小動物はあたふたと慣れない場所を逃げだしていく。

「さっき爆薬仕掛けてたとき、廊下で見つけたんだ。こいつには何の関係もないからさぁ。」

顎で炎に包まれた屋敷の残骸を指し示し、淡々と答える。

「で、わざわざ逃がしてやったってわけか?そりゃまたご苦労なこった…。」

男は嗤った。生きてる人間も爆風で吹っ飛ばすつもりだったヤツがどの面下げて動物愛護なんだ、他にも鼠やら南京虫やら逃げ遅れたヤツなんていくらでもいるだろうとからかってやる。すると、偶然見つけちゃったから連れてきただけだよと、エンヴィーはばつが悪そうに目を伏せた。

何であれ、あげ足を取られるのが嫌いな彼(彼女)にしては珍しい反応に、グリードは一瞬遅れて思い出す。そういえばこいつの本体も人外だった、竜まがいの奇怪な形をした化け物だったと。
人の形に落ち着いている己や他の仲間と異なり、そのようなエンヴィーが鱗のある体温の冷たい小動物に親しみを覚えたとしても不思議はないのかもしれなかった。それこそ、今そこで死んでいる人間達よりも。

自分より後に生まれたとはいえ男はエンヴィーの由来を完全に知っているわけではない。気がついたらそこにいて、新しい兄弟だと紹介された。己と同じ父の被造物として。



考えにふと気を取られたときだ。遙か上方で軋むような鈍い音がしてエンヴィーが叫んだ。

「グリード、上!」

崩壊し、横倒しになるような形で落ちてきた巨大な石柱をとっさに受け止める。足が柔らかい土にめり込み、焼けた石に皮膚が焦げたがすぐに身体を硬化させてダメージを防いだ。
すぐ傍らにいたエンヴィーは、背後でグリードにかばわれた形になった。

「…痛そうだね。それ。」

「どうってことねぇ。もう再生した。」

柱を押し返しながら一部が焼き焦げた革の腕輪に目をやり、男はため息をつく。石が大地に伏せる振動。


「お前は大丈夫か?」

「――身体は何ともないよ。」

一瞬の沈黙。
ふと、背中にエンヴィーの気配を近く感じた。

「…だけど、どこかが…変な感じだ。」

炎がはぜる音にかき消えそうな声で囁くのを聞く。そのまま男の背中に頭だけ預けて、そっと寄り添うようにしたのがわかった。

「今だけじゃなくて………さっきから、ずっと、おかしい。」

それだけでは殆ど何も説明していない断片的な言葉。しかしグリードは繊細な感性の持ち主でこそ無いが、幸い鈍くもなかった。

「…そうか。」

振り向くと相手はぱっと身を離した。きまり悪そうにそっぽを向き、視線すらすぐには合わせられない。あまりにも不器用な情愛の表現。
夥しい死体を燃やす炎に赤く染め上げられながらその横顔が驚くほど幼く見えて、これまでの行為とグロテスクなまでの対照を成した。

醜悪さと美しさ、残酷さと無邪気さ、陰と陽、不毛と過剰な性。
彼(彼女)においては、相反し矛盾する様々な性質が渾然一体となってしまっている。「完全なる存在」の不完全な失敗作。

(――バケモノ。それも恐らく、俺以上の。)

グリードの中で冷静な部分がつぶやく。

しかしその怪物は本当に美しい身体をしていた。
まるで綺麗な服を褒められ得意になった子供のような顔をして、その身をあっさりと投げ出した。
痛みに悪態をつきながらも、抱きしめられ嬉しそうにはにかんだ。今まで見たこともないような穏やかな目で。

記憶の中、互いに相矛盾するイメージが砕けた鏡の像のように飛び散り乱反射する。
不毛なはずの交わりなのに、そこにあったのは奇妙に鮮やかで豊かな時間。男は胸の内に何とも形容しがたい想いが満ちるのを覚えた。

だがその感情の名を彼は知らない。いや、例え語彙を知っていてもうまく結びつかない。
自覚してはいないが、実のところ男もエンヴィーと同じくらい情愛というものを知らないからだ。というより、そもそも頓着したことがない。これまで幾人のもの女と交わり優しくさえしたが、意識してそのような感情を抱いたことはなかった。
彼においては全ての内なる想いが所有欲や征服欲、及びそのための闘争という言葉で翻訳されてしまう。

だからこの時も、冗談めいた口調で嗤っただけだった。

「そいつぁ、お前が俺のモンになった証拠だ。」

「…ハァ?何だそれ。意味わかんない。」

相変わらずエンヴィーは憎まれ口を叩く。だが表情がどこか軟らかい。口元に僅かな笑みがある。風圧になびく長い髪。


そしてグリードは今、己の成したことの意味を彼なりのやり方で理解しつつあった。
その独自の狭さと鋭さを併せ持った思考法で、こう考えたのだ。

―――生まれて初めて造物主を裏切ることができた、と。

創造主たる父、その作品に手を付けた。父の夢見る雌雄同体の似姿を汚し、束の間とはいえ奪った。
それも身体だけではなく、父にのみ従順であるはずの真っさらな心に、情欲という名の染みをつけてやったのだ。

(傑作じゃないか。)
(父の駒、被造物の二人が職務も忘れて獣のように交わった。)
(実にくだらない。だが、親父殿からすれば恐らくとんでもない計算外の、突発的な事態。)


今は炎の中消えた、人間達による狂乱の宴を思う。
淫蕩、暴力、破壊、そして最後には死。虚しさそのもののように見えていた「愚行」が今や、反転し、男には別の様相を帯びてみえはじめていた。
それが極限状況での唯一可能な「自由」の表現であったように感じられたのだ。
例えそれがヒトの弱さと限界故に、著しくゆがめられた形を取っていたとしても。


(あの弱い人間達でさえ、影で糸を引くエンヴィーの思惑の内には留まらなかった。)

(…ならばどうしてこの俺が、親父殿の手の内にいる必要がある?)


傍らの、細い身体を抱き寄せた。
己に与えられた定めに抗おうとするかのような強引さで、唐突に。

「ちょっと…暑苦しいんだけど。」

「そうとも限らないぜ。」

そのままうつむき加減の横顔に頬を近づける。

「この熱だ。外気より人肌の方が温度が低くて気持ちがいい。」

「………ふん、そういうことにしといてやるよ。」

身を寄せ合いながら至近距離、エンヴィーが熱風に煽られるようにして目を閉じたのを見た。
無防備に、ただ、身も心も委ねるような刹那の表情。

男の思惑など露知らず、自らも無自覚なまま、ひたすら信じ、愛し始めてしまった者の顔をしていた。


その瞬間だったのかも知れない。
一度きりのお遊びにせず、一生消えない刻印を負わせてやりたくなったのは。

目の前のこの身体、その精神と、もしあるのならば――――魂に。

そして叶うならば、全身全霊を我がものとしたいと。



この日、エンヴィーが生まれて初めて身体を開いたとすれば、彼の精神にもくさびのようなものが打ち込まれたのだ。
だが二人はまだ、それが何を意味するのかを知らない。


行く先に何が待ち受けているのかも。





END



【作者後記】
前回に引き続き、誰だこのエンビ!状態ですが(グリもか)、100年以上前は、悪いことするのと人間にぼんやり嫉妬する以外は割と何も知らない可愛い子だったの…という妄想です……。
初体験くらい初々しくても良いかなと(←殺)
人造人間とはいえ、色々覚えて多少は変わっていくんだ。
身体は成長しないわけだけど、精神にはどうしても積み重なる部分ってあるんじゃない…?とこれは私の勝手な妄想。
ただ、トカゲを逃がすあたりの展開はもう私の夢見てるぶりが伝わってきちゃいますが…///

あと、原作でも銃で狙撃したり車運転したり、割とエンビって人間の道具に親しんでますよね。
勉強家さんだなあと感心していたので、今回は爆薬を使ってもらいました。
管理人にそれ系の知識がないから(ギリギリ、導火線+雷管で起爆ということは理解した)屋敷の崩れ方とかイマイチ適当になっちゃってるのはゆるしてください(どのくらい二人が逃げたのかとか、どういう建築様式の建物だったかとか…(汗))。

ちなみに、こういう性格なもんで、原作の時代より100年以上前っていうのがどんくらいの感じなのかも無駄に悩み、色々誤魔化しました。
原作が20世紀初頭くらいの雰囲気ですよね…。とすると、グリードがお父様のもとにまだいたころの鋼世界は単純計算すると18世紀末〜19世紀初頭の現実世界をモデルにすることになる。
しかし、じゃあ、人々がべるばらみたいなカッコしてるのか??と考えるとちょっと奇妙な気分に。あと19世紀初頭だとかなりローテクなんですよね…。例えば電話なんてあるわけないし。
でも電話がないと話すごい作りにくいんで、無理矢理「錬金術の発展はすごいけど、技術の発展は現実世界よりゆっくりなんだ」ということにしました。で、米国当たりで原始的な電話機がある程度普及してきたのは1870年代らしいから、じゃあ1870年代くらいの雰囲気で考えればいいだろうと。つまり科学・技術は100年経っても現実世界の30年分しか進んでいないという。あと、服装も1870年代くらいだったら、まあ、そんなに違和感ないなーと思って。男の人の服装が背広みたくなってるんですよ。
建物解体するシーンもそれで強引につじつま合わせてます。イメージとしてはダイナマイト使った爆破なんですが、ダイナマイトの初期バージョンが作られたのが1860年代。それより前だと多分、運搬に耐えて、かつ建物丸ごと一気に吹っ飛ばすような性能の良い火薬って…微妙なんですよね。大砲とかはありますけど。

えー……まあ、そういうわけでお粗末様でした!
何だか後書きまで長々しく書いてしまいましたが、エンビ初体験話でした…