non est homo perfectus ut operetur opus divinum.

Perfectus

2.

案内されたのは二階の客間。そこかしこにさり気ない死の気配はあるものの、狂乱の宴の後が色濃く残っていた一階に比べると悪臭は薄らいでいた。

その薄暗い部屋の一角を指さし、見上げエンヴィーが言う。

「これだよ。あいつら、こんなもん持ってやがった。」

グリードは目を瞠る。それは壁全体を覆うように立てかけられた巨大なレリーフであった。かざしたランプの灯りに、背の高い彼の身長をも超える砂色の一枚岩に刻まれた様々な紋様がくっきりと浮かび上がる。


「ほぉ…」

「見覚えあるだろ。あんたなら。」

「こりゃぁ…懐かしいな。クセルクセスの壁画か?」

「多分、レプリカだけどね。どっかの馬鹿がコピーして骨董品ってことでこの屋敷の主に売りつけたんだ。」

「で、てめぇはその折角の骨董品をぶっ壊したい訳か。」

「そう。ここの奴らが無知で良かった。この壁画は『人間』の錬成陣そのものだよ。アメストリス軍の、それも変に利口なヤツの手に渡ったら、面倒なことになるところだった。まだ…人間達にここまで教えるわけにいかないからね。」

「人間の錬成陣って…お前、これの意味がわかるのか?」

「全っ然。でも形は間違いないよ。こう見えても映像の記憶力はいいからね。」

確かに変身にはその種の能力が必要だろうとグリードが納得していると、エンヴィーはなおも続けた。

「だけど、この真ん中の図だけは意味がわかるよ。交わる雄と雌の竜、つまり雌雄同体の身体を表しているんだって。お父様に教えてもらった。」

「ほお。」

受け売りの知識を得意そうに披露するエンヴィーは、一見、少年のような姿をしたホムンクルスだ。
いつも好んで着る露出度の高い衣装からのぞくむき出しの肩や腕、手足は比較的しっかりとした骨格と筋肉のラインで構成されている。
だが一方で、よく見るとその横顔の輪郭はどこか甘いし、ウロボロスの紋章が刻印された脚には、少年のものとは言い切れない曲線が宿っている。

「で、雌雄同体は完全なる存在を示す錬金術の比喩表現なんだってさ。」

適当に相づちを打ちながら男は遠くに雷鳴を聞いた。ついに嵐が追いついてきたらしい。
ランプの光が揺れ、壁画に映るエンヴィーの細い影がほんの一瞬だけ揺らぐのを見る。
ふと、気まぐれな好奇心がわきあがった。

「お前のその姿…」

エンヴィーの「本性」が人外のものであることは周知の事実だが、もう一つ、兄弟の誰もが漠然と知っていることがあった。人型をしているときのエンヴィーは、男ではなく、女でもない。

「それも、親父殿が与えたモノなのか?」

「そうだよ。」

「なんでまた…」

少年のような存在が振り返り、にやりと唇をゆがめる。

「わかんないの?」

「見当もつかん。」

「『似姿』だからだよ。」

「似姿?」

「決まってるじゃない。お父様の究極の目的の…まさか、知らないの?」

「いや、知ってるが。それがどういう…ん、待てよ、」

「そう。雌雄同体の完全なる存在。いつか訪れる、その存在をかたどる似姿として、この形をくださったんだ。」

エンヴィーは側にある壁画を見上げた。
切れ長の瞳が真摯にむかう先には、交じり合う二頭の竜。

不老不死と雌雄同体。目指すべき究極の存在。父の夢。

「だからこの身体は、いわば予兆だよ。我ら兄弟がお父様と共になし得る偉業の。」

どこか恍惚感を帯びた声が余韻を引いて暗闇に消えた。
微かに微笑の浮かぶほの白い横顔に、ランプの灯が陰影を造る。

この時初めてグリードは、エンヴィーの顔がよく作り込まれた人形のように整っていることをぼんやりと意識した。

今まで、ラストが美しいことは十分に知っていた。
だがホムンクルスであるにも関わらず、どこまでも人間の男のような感覚を植え付けられていた彼は「女ではない」ものとされたこの兄弟の外見に関心を向けたことがなかったのだ。

それでも頑固な彼自身の思考は、エンヴィーの外見に対する一瞬の感情を言語化することに抗う。
代わりに、意識の表にこみ上げたのは強い違和の感情。


(――似姿、だと?)

(それって…踏み石ってことじゃねえのか?)

(「本物」を作る前の。)

(つまり、所詮偽物。親父殿の習作ってこった。)

ああそういえば、と飽くことなく貪り続ける巨体の影が脳裏に浮かぶ。

(偽の真理の扉ってやつもいたっけ。そして子を作らぬ偽の女に、目の前には偽の雌雄同体。とすると、この俺は…?)



再び稲光。グリードの目の前で閃光が刹那、部屋一面を満たした。
すらりとした、白い肢体の残像が網膜に焼き付く。
ぞくりと腰骨から首筋に向けて背筋を何かが走った。
一瞬遅れ、雷鳴が轟く。

視界が元に戻っても、痺れたような感覚が身の内を去らない。


だがそんなグリードの様子など何一つ頓着することなく、エンヴィーは傍らにランプを置いて腰を下ろし、屈託のない声を出した。

「そういえば、報酬の話をしてなかったね。何が欲しい?」

「…ああ。」

つられて座りながら、金の話だというのに、強欲を名に冠する自分がいつになく心ここにない声を出すのを、男は他人事のように聞く。

「今回の仕事全体について、ラストはセントラルの不動産三つくらいをこっちの好きに使わせる感じでどうかって言ってきてるけど。」

「不動産?」

「うん。自由に使える建物があると諜報には便利だからね。監禁や拷問にも使えるし。そのうちの一つくらいを今回の見返りとして渡そうか?…あ、でもグリードの仕事には役に立たないかぁ。移動が多いもんね。」

「そうだな。」

(仕事、仕事、か。)

「じゃあ、もらったら一つ売って金に換えてやるよ。それで支払うってのはどう?」

「金か……うーん。」

(――俺たちぁいったい何のためにこんなに働かされてんだ?)

「気がのらねぇな。」

「あれ?珍しい。強欲らしくないな。」


正面の床に座り込んだエンヴィーが肩をすくめ、上目遣いでのぞき込むようにしてくる。青白い光が再びその白い頬を照らした。何かにせき立てられるような胸苦しさを覚え、グリードはやおら立ち上がる。
床に座ったままのエンヴィーが、目の前に立ちはだかった長身に一瞬気圧されたように後ろに身を引いた。

その些細な仕草を視界の端に捉えたときだ。男の頭に突拍子もなく一つの考えが降りてきた。


「…今思ったんだが、報酬よりも欲しいモンがある。」


そのまま、一つの父から生まれた兄弟を見下す。同じ色をした赤い虹彩、よく似た切れ長の瞳が怪訝そうに見上げた。

まだ部屋に残る乱痴気騒ぎと狂気の余韻が、そして辺り一面に満ちた血なまぐささと微かに漂い始めた死臭の猥雑さが背中を押したとしか思えない。
間髪を入れずに、言った。


「その身体を、見せてくれないか。」


視界の中、深紅の目が見開かれる。

「……は?」

また、稲光と遠雷。


いつでも、便利な力や能力を持つ者には子供のように興味を持った。外見が少しでも美しいモノは例外なく欲しくなった。
今もそうだった。それまで特に視界に入っていなかったのが単純に好奇心をそそられた。擬態でしかない外見から本性まで、まるごとこの目で見てみたくなったのだ。


「そう驚くなよ。ただ、親父殿が造ったという、その似姿を俺も拝んでみたくなったんだ。」

「……………。」

ぽかんと口を開けたまま、エンヴィーは二の句がつなげない。

「どうした。それとも何だ、てめぇにも人間みてぇな羞恥心があるのか?」

実はグリードは自分の感性がかなり人間に近いと自覚している。そもそもそうでなければこのような要求をするわけがない。だから敢えて訊いたのだった。


「……気でも違った?」

「いたって正気だ。」

「じゃあいきなり、何で?」

沈黙が落ち、雨の音だけが満ちる。
答える変わりに、グリードはレリーフの竜へと目を転じて言った。

「別にイヤならいいぜ。思いつきで言ってみたまでだ。まあ、人間の常識じゃ、とんでもねぇ提案だしな。」

とりたてて煽る意図はなかった。
だが、再び発された「人間」という言葉に、当惑と不愉快が入り交じった表情がエンヴィーの表に浮かぶ。恐らくはホムンクルス達の中で誰よりも人間の姿に焦がれている彼(彼女)は、その誰よりも人を蔑んでいた。だから同じと思いたくない…。

本人にも恐らく説明のつかないであろう数秒の逡巡の末、ホムンクルスとしての矜恃のような何かが勝った。
エンヴィーはのろのろと立ち上がる。

「人間、人間って、うるさいなぁ。」

そして盛大なため息と共に、なんと要求を受け入れた。

「わかったよ。くだらないけど提案に乗ってやる。」



続く



【作者後記、というかちょっと言い訳】
出だしからしてアレですが、しょーもない展開スイマセン(;´∀`)
なんでだかうちのグリエンはこんなノリです…。

エンビが「偽の雌雄同体」であるというのは鋼関連の某謎解きスレでの議論を参考にしてます。ただし「お父様の目的とする存在の似姿」というのは私の解釈です。
原作がこの後どう進むかで全然違ってた!ということになりそうですが(苦笑

「『人間』の錬成陣」というネタは13巻から頂きました。この解釈であってますかね?
ホム達がどのくらいこの錬成陣の内容を知っていて、グラトニーにいつ壊させたのかは不明ですが、とりあえず人間に知らせたくない内容だったんだろうと思ったので。
また、エンビ自身がどの程度錬金術の意味を知ってるのかも分からない感じなんですが、ラストが「私たちが(人間)賢者の石の作り方を教えた」と言っているシーンがあり、かつお父様もいるわけだから、実践できなくても知識としてはある程度ホム達も錬金術を知ってるが、完璧ではないという設定にしました。原作を読んだ印象で、知識の程度としてはラスト>エンビ>グリードかなと勝手に推測してます。
グリードは「永遠の命」についてリン・ヤオ程度の発想しかしてなかったのに対し、エンビは13巻で錬成陣に対するエドの解釈を聞いても驚いてなかったので。つまりグリードはほんと何も知らされてないなって感じ。

SSの方に戻ると、小さい共和国がつぶれるときに…というのはパゾリーニというイタリアの監督によるカルト映画『ソドムの市』のパロディです。この映画が好きでつい使ってしまった。もちろんかなり変えてありますが(ちなみに『ソドムの市』自体はSMの語源となったM.サド侯爵による『ソドムの120日』のパロディ。お察しの通りかなりきっつい内容です)。ここまでえげつない始まり方にする必要有るのか?と書きながら何度か思ったんですが、変えられなかった。

なお、この後エロ展開ですが、その内容は流石に「ソドムの〜」的なものにはならない予定です。基本的に作者はヘタレなんで。至って普通のH…というか、なにげに初体験話だったりするわけだし。