Bienvenue dans cet empire aussi ridicule qu'absolu.
Perfectus
1.
「おかしいんだよ。人間達ときたらさぁ、」
「最後まで立ち向かうか、さっさと逃げ出すか、どっちかだと思うよね、普通。」
「それがとんでもないんだ。高官達が田舎のでかい屋敷に閉じこもって、それも自分達だけならまだしも、村中のかわい子ちゃんを集めだしたんだよ。男も女もだよ?」
「…はァ。で?何が起きたんだ?」
グリードはあくびをかみ殺す。いささかうんざりしていた。
用事があって電話をかけたのに、相手が開口一番、関係ない話を始めたのだった。
受話器の向こう、いかにも愉快そうなくぐもった笑い声が響く。
「ほんと、すごいんだ。結構長いこと生きてきたつもりだけど、集団であんな風になった人間を初めてみたね。」
「勿体ぶらずに早く言えよ。」
「ソドムの饗宴ってやつだよ。」
「ソドムの饗宴?」
「暴飲暴食、酒池肉林、強姦、獣姦、乱交、そして拷問、あとは何があったかな…」
「はぁ。」
「とにかく、その全部やってるんだよ。数十人が押し込められた屋敷の中でね。」
「で、混じって楽しんでるのか。」
「まさかぁ。一応こっちは仕事中だしね。物陰から監視してるだけだよ。このまま順調に奴らが自滅してくれるようにね。」
だいたい人間達と今更、何をすることがあるのさ、受話器ごしにクスクス笑う声が少し耳についた。
そのとき、エンヴィーはアメストリスの南方、アエルゴとの国境にある小さな都市共和国の内部撹乱作戦に関わっていた。現在同国と交戦中のアメストリス軍を益するためである。単独作業だった。ホムンクルスである彼らには珍しいことではなく、変身能力のあるエンヴィーは特に、諜報、情報操作、そして暗殺と多様な任務であっちこっちに走らされるのが常だった。
「とにかく見物だよ。軍のトップ2と現閣僚が三人、うち一人は首相経験者、こんだけの人材が固まっているのに、小さい村に逃げ込んで、何にもせず乱痴気騒ぎに耽ってやがる。」
今にもアメストリス軍に滅ぼされようとしている小国の話などグリードにはそもそも興味が無く、気のない相づちを打つが、お喋りなホムンクルスは止まらない。
「まぁ、政権内部が滅茶苦茶になってたからねぇ。閣僚の八割が敵前逃亡したし、残ったヤツもこの有様。戦うどころか、停戦交渉すらも出来ずに見事な政権崩壊だよ。でもそれがこっちには好都合なんだけどね。」
「…てぇか、そう仕向けたのはお前だろ?」
「もちろん。ここ数ヶ月は忙しかったぁ。いろんなヤツに化けて政権内の相互不信を煽って…」
「…相変わらずえげつねぇなあ。ところで、そろそろ本題に入っていいか。」
「ああ、そうだよ。で、いつごろ着く?」
「例の件だが、グラトニーは間に合わねぇ。今日からラストと西部で仕事だ。それが終わってこっちまで来るには十日はかかるな。」
「はァ?!何それ!こっちは一昨日から伝えてって頼んでたのに!」
「親父殿の命令だ。仕方ねぇ。」
「困ったなぁ。あれ、早く始末した方がいいと思うんだよね。アメストリス軍が来る前に、あいつに『飲んで』もらいたかったのに…。」
「お前一人で何とかならねぇか。元のでかさにもどって踏みつぶすとか…。」
「いくらなんでも村人に見られるよ。だいたい不自然だ。いい?あくまでも、人間達が勝手に自滅して、ついでに、そんなブツが元から存在しなかったってことに出来なきゃ意味がないんだ。それも、アメストリス軍にさえ知られないようにやんなきゃならない。」
ホムンクルスは表舞台に出てはいけない、あくまでも影で暗躍しなければならない、とエンヴィーは念を押す。
「いちいち面倒くせえな。」
グリードの口から今日何度目かわからないため息が転がり出た。
「うーん、仕方ないなぁ。」
受話器の向こうで声を殺し嗤う気配。ロクでもないことを考えているな、との予感は果たしてあたった。
「こうなったら、屋敷ごとふっとばすか。」
「おいおい乱暴だな。」
「自暴自棄になって集団自殺のために爆薬仕掛けましたってね。軍人や技師もいるし、言い訳くらい立つだろ。とりあえず馬一頭で運べるくらいの爆薬持ってきて。そこからなら二日で来れるよね?」
「え、俺がか?」
「どうせ暇なんでしょ?さっきから、こっちの長話に付き合ってるしさぁ。」
やられた、とグリードは舌打ちした。
*
男が到着したとき、そこは奇妙に静かだった。
田舎の一軒家、少し離れた小高い丘に屋敷は建っていた。正面から来ても問題ないとエンヴィーに言われていたので、閉ざされた門の呼び鈴をならす。小柄な金髪のメイドがやってきて重い戸を開けた。
もう夕刻であたりは薄暗く、嵐の前兆を思わせる生暖かい風が吹いていた。女が片手に掲げるランタンだけが心細く輝いている。広い庭園を案内されるままに歩いた。
ふと彼はえもいわれぬ違和感を感じた。女の衣服は黒を基調とした禁欲的な色彩だが襟元のカラーがやたら白い。そのデザインも金のほつれ毛が首筋に流れる様子も、寂れた田舎に似つかわしくない妙な華やぎがある。強いて言えば周囲の風景と調和していない。いや、そもそも女の容貌や仕草自体が奇妙に生活感を欠き、整いすぎている…。
「…お前、エンヴィーか?」
メイドが振り向き、微笑む――というより、唇を笑いの形にゆがめた。答えは明らかだった。
「相変わらず趣味悪ィ…」
だがそれは序章でしかなかった。
建物の内部に足を踏み入れた途端、グリードは押し黙り、顔をしかめることになる。辺り一面、血の臭いに満ちていたからだ。
二、三歩進むと足下に鈍い感触。気をつけて、と傍らで囁き声がした。ランタンの灯りが折り重なって倒れる男と女を照らし出す。両方とも半裸で、生乾きのどす黒い血が生気のない青白い肌を汚している。扉が閉まる重い音がした。
「なんだこりゃ。何でこんなに死んでる?」
その瞬間、傍らで閃光がひらめき、あっという間に、長い黒髪を腰まで垂らした少年のような姿が現れた。そして屈託無く違う顔で同じ笑顔を見せる。
「間に合わなかったね。今朝方、乱痴気騒ぎは全部終わっちゃったよ。」
「やったのはお前か?」
「それが違うんだよねぇ。単なる集団自殺。先週からの拷問ゴッコで、もう半分以下に減ってたんだけどさ。最後に軍のやつが銃を乱射して自分も頭を打って死んじゃった。」
「すげぇな。」
「おかげで流れ弾が当たって痛かったよ。ま、こっちは仕事が楽になってありがたいけどさぁ。」
「なるほどな。てめぇが晴れ晴れした顔してるわけがわかったぜ。ホントに相変わらずだな…。」
エンヴィーは笑みを浮かべたまま、無言で目の前にある階段を昇るよう促した。
続く
【作者後記】
鋼世界で原作の時代の100年前に電話があったのかは不明ですが…あったことにしておいてください…。