嫉妬

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3.


馬車を乗り継ぎ、いくつもの町を通り過ぎた。峠を越え、森を抜けて旅をした。途中、川沿いを土運び人夫達が忙しく働いているのを目にした。何をしていると訊ねれば鉄道というものを作ろうとしているという。少し見ないでいるうちに人間達の作る風景はめまぐるしく変わっていく。

セントラルまであと少しという郊外の町にさしかかったときだ。キャラバンを見た。東の方からやってきた行商人達で、見せ物小屋のような屋台を出している。いつもは特に興味もなく通り過ぎるのだが、そのときだけふと気になり足を止めた。
明らかにキメラと思しき動物が檻に入っていたからだ。

それはいくつかの動物を錬金術で掛け合わせたものだったが、術師の腕の未熟さが伺えるほどに不完全でいびつな姿をしていた。グリードはふと、セントラルの薄暗い研究所で同胞達が人間に作らせている異形を思い出す。特に感傷も嫌悪もなく普段は風景のように忘れている存在。研究所は彼の管轄ではなく、強欲の名を持つ男は己の所有でないものへの関心は薄かった。いや、他人のものだからというより、それが父から与えられた任務に関わる対象だったからという方が正しいかもしれない。この時の彼にとって父の存在は既に億劫で厄介なものだった。

(は、妙なモン思い出しちまった。)

微かに嗤い、黙って通り過ぎようとした。すると檻の側、前にかがみ込んでいた人影が振り返り、キメラを指さして言う。

「お兄さん、見ていきなよ。もっと面白いすごい怪物もいるよ。脚が八本だか十本だかあるオオトカゲとかさぁ。」

「怪物…。」

何でもない言葉に何故かひっかかりを覚えた。ついまた歩みを止める。人物が立ち上がった。季節には合わぬ妙に胸元のはだけた服を着ている。一瞬奇妙に思い、身体を見たときその理由が分かった。わざと見せているのだ。左側には豊満な乳房の盛り上がりがのぞいているのに、右側の胸は男のように平ら。しかも片側の胸を手術などで切除したというふうでもない。

視線を捉え、待っていたとばかりに人物が微笑む。

「ふふ、珍しいだろ。生まれたときからこうなのさ。左の身体は女で、右の身体は男。」

改めて正面から見て、更にその化粧までもが左右非対称になされていることにもグリードは気づいた。女の側の顔には濃い白粉とほお紅が、男の側は殆ど素肌に近い色である上に、ご丁寧にも偽の口ひげが薄く唇の上に書き込まれている。よく見れば身体の線も微妙に左右で異なっているように見えた。

「そうか。」

男は淡々と答えた。最初見たときは少し驚いたが、人間がそのような身体に生まれることもあるのかと理解したらすぐに関心を失った。だからその人物の次の台詞にも特に心動かさなかった。

「…他の部分も見てくかい?そこの小屋で、安くしとくよ?」

目線で示した先に昼間でも中は薄暗そうな掘っ立て小屋。そこで売春まがいの行為が行われているのであろうことは一目で分かった。

「いや、今日は先を急ぐんでな。」

「旅人かい?」

「まあな。お前さんもそうだろ?」

真っ直ぐに視線を合わせて何の気なしに言う。開けっぴろげで無頓着な表情。すると左右非対称な身体の彼(彼女)がはにかんだように無言で目を伏せた。半分だけ化粧をした顔、長い睫の陰が頬に落ちる。その表情の微妙な変化が意味するところにグリードは気づかない。ただその人物が沈黙の後、そっと微笑むのを見る。

「…お兄さん、いい男だね。道中気をつけて。」

お前さんもな、とグリードは笑う。
そのまま見せ物小屋の前を立ち去った。

そして歩調を早めながら、ぼんやりと人間とは奇妙なものだと思う。俺にとってはその辺の人間もキメラの類とさほど変わりがねぇんだけどな、と微かに苦笑する。

同時に、向こうにとっては己が間違いなく「怪物」なのだろうという考えがよぎり、その後忘れた。


だから知らない。相手がしばらくずっと男の背中を見ていたことを。
彼(彼女)にとってこの短いやりとりが町に来て初めてのまともな会話と呼べる何かだったことも、当然知る由はない。







セントラルに着くともう真夜中になっていた。
直接父や同胞達のいる場所に出向くのではなく、第五研究所からアジトに入った。先ほどの町でのやりとりのせいだろう。ふと気まぐれにキメラ達の檻を見ていきたくなったのだ。監獄の側近い同研究所では死刑囚と動物の融合実験をやっていた。ついでに囚人を用いた賢者の石作成も。

鉄条網の柵を乗り越え、曲がりくねる地下通路を進んでいく。侵入者には迷宮だが男には慣れた道だった。程なく地下の広間に出た。いつもは大抵さえない顔色の錬金術師達が働かされているのだが、夜更け過ぎの時刻のせいか今は誰もいなかった。
足元を見れば、黒ずんだ血液の染みがついた床に魔法陣らしき図形が広がっている。朧気な灯りに照らされた同心円と五角形。

「相変わらずだな…」

独り言を口にしたときだ。不意に聞き覚えのある声が飛んだ。

「あら、久しぶりね。」

ラストだった。カツカツと靴音を響かせて、暗闇の中、足下から次第にシルエットが浮かび上がる。

「びっくりしたわ、普段寄りつかないのに…」

別に避けるつもりはなかったのだが、正直、ここで会うのは少し計算外だった。

「てめぇも元気そうだな。」

魔法陣の中央、淡い光源に上から照らされながら、女は答えず笑みに目を細める。その眼差しが宿す艶に男は僅かな胸苦しさを覚えた。エンヴィーの言葉が蘇ったからだ。


(『…あの女、ラストに似ている。』)


金髪の女を抱いたとき、そのような意識はまるでなかった。実際こうしてみれば顔立ちはさほど似ていない。髪の色と目の色などまるで正反対だ。
…だが、醸し出す雰囲気に何か共通点がないかと問われれば、否定は出来ない自分がいることに気づく。


いや、実際にはこういうべきだろう。
美という意味でラストは男にとって、これまでに知る全ての女を超越していた。その意味では似てなどいない。
事実、しばらく離れていて久しぶりに目の当たりにするとその姿に圧倒される。強欲ともあろう者が、一瞬とはいえこれまでに抱いた女の姿が霞むような感覚すら危うく覚えそうになる。

だがその一方で、男にとっては全ての女がどこかラストに似ているのかもしれなかった。永遠の美と聡明さ、残酷さ。彼女には女という生きものが持ちうる要素の殆どが、その最高の形で備わっていた――子を産み、育てるということ以外は全て。

それは彼女が人間の女を原型に、より進化し完成した「女」たるべく産み出された存在だったからだ。
彼が人間の男を模しつつも人間を超越した存在であるべく、男の中の「男」たるべく創られているように。
最強の矛と最強の盾、「女」と「男」。数ある兄弟達の中でも例外的に成熟した完成形にある二人。
そう。改めて意識してみれば確かに、彼女と彼とは対になるべく創られたかのような存在なのだった。

ただし男は姉にあたるこの同胞を抱いたことはない。それが出来ると思ったこともなかった。
理由は彼自身も知らない。



「そういえば、エンヴィーのヤツはどうしてる。」

脳裏を占めた余計な考えを振り払い、平静を装って切り出した。それもいきなり本題。するとふとラストの眼差しが反応する。

「エンヴィーといえばあの子…最近変よ。あなた、何か知ってる?」

「いや、わからねえな。どんな風にだ?」

グリードは嘘をつくのは好きではなかった。そして「わからない」のは嘘ではない。実際、個人的に連絡がないのみならず、ここしばらく全く足取りがつかめないでいた。これでも裏の情報には通じていたから、どこかの街でエンヴィーが事を起こしていれば姿を変えていても大抵は察しがつく。しかしそれもなかった。だからセントラルに来たのだ。
外で仕事をしていないなら他に行く場所もないだろうと思ったからだ。

ラストは男の問いに答えなかった。気だるげな仕草で髪をかき上げる。そしてふっと流し目をくれて、口元に笑みを浮かべたまま言った。

「会えばわかるわ。案内してあげる。」






つづく



【作者後記】
もうちょっと続きます…。
なお、馬車に乗っているのは百年以上前だからです。

ラストを書くことが出来てちょっと嬉しいv
彼女についてはもはや妄想が膨れあがっているので、ちょっと無駄に魔性の女化してるかもしれません…。
あ、今回エンヴィー出てこなかったですが、グリエン小説です。一応…。
(2009/7/20)




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