I cannot but feel pain when I think of you.
his name
6.
夢を見た。変な夢だ。
赤くて暗い場所。泣いてるんだ。動物かなと思ったら、赤ん坊の声だ。
赤ん坊は、はいはいをしたかと思うと、暗がりの中立ち上がり、よちよち歩き出した。
赤い空間で肌が夢のように白い。いや、夢なんだ。
目の前で子どもはみるみる大きくなって、幼児くらいの大きさになり、俺を見上げてにっこり笑う。
俺はその子が誰かに似ていると思う。だけど思い出せない。
その間にも子どもは少しずつ輪郭を変えていく。そして、言う。
――お兄ちゃん、あそぼ。
人とは違う形、聞き覚えのある声に、俺は動けなくなる。すると視界の端に突然、銃を構えたエンヴィーの姿。狙っている。
やめろ、俺は叫ぶ。子どもは撃つな。
でも、いらないんだろ?いても困るんじゃないの。
何を言うんだ。
だって、もうニンゲンの形してないよ。だから殺されたんだよね?お前達に。
俺は、そんなこと考えてない!だいたいあれは傷の男が勝手に…
でも、あんただって結局、かたちが同じじゃないとやなんだろ?だから、こだわってるんだ。弟のこと。
違う!元の姿に戻りたいだけだ!!!アルも俺も!
「ごめんごめん。ほんの冗談だよ。」
急に声が近くなる。ぽん、と肩に手が置かれる感触。はっと気づくともう場面が違う。あの倉庫だ。
「遊びだよ。楽しい遊び。」
エンヴィー、笑っている。
「おチビさんは殺さないもんね。」
首をかしげて目をのぞき込むようにして。赤い瞳がきらり。
「それどころか、造れるんだもんねぇ。このエンヴィーと違って、ちゃんと、」
いつの間にか二人とも裸で至近距離向き合っている。何故かそれに動じることなく、俺は視線を下におろす。両性具有の、子孫は残さない身体。作り物のように透けるような色合いの肌。青みを帯びた影で足元は暗くて、よくみえない。
寄り添うようにして、耳元に囁いてくる。
「人間ひとり、造ったよね?」
「…何の、ことだ。」
「やだなぁ、忘れたの?」
気づく。俺がいるのはもうあの倉庫じゃない。もっと狭い、暗い。湿ったかび臭い空気。埃をかぶった雑多な古いガラクタの気配。奇妙な懐かしさに、吐き気がするほどの胸騒ぎを覚える。
と、エンヴィーが腕を伸ばし、俺の背後を指さした。全身に戦慄が走る。いやだ。見たくない。だけど抗えず振り返る。
そにあるのは、薄暗い錬成陣と、
「やめろ…」
黒い大きな影。異形の形をした――――肉体。
「あんたに造られた、あれも、あんたにとっては『人間』だよねぇ?!」
「やめろおおおおおおお!」
「…う、あっ!」
自分の声で目が覚めた。起きあがる。
両腕で自分の身体を抱いてぞくりと身震いした。
夢の細かい内容は急速に消えていく。ただ、恐怖と混乱の余韻だけが残っていた。すごく、悪いことをしているような後ろめたさ。
頭痛がして、俺は思考を停止する。
辺りを見回すと、窓の外は日が暮れていて、すっかり夜だった。
ほぼ丸一日近く、眠ってしまっていたようだった。ノックス先生のところに行ったアルはまだ帰ってきていない。
机の上に置きっぱなしの拳銃が目に入る。あの場所に行く前に、ホークアイ中尉から借りたままだった。
ぼんやりと、夢の中に拳銃が出てきたことだけ思い出す。
(銃…そうだ。)
返しに行かなければ、と俺は思った。
*
一日以上眠って起きたら夜。いつも側にいた弟もいない。人気のない路地を歩きながら、まるで異世界に迷い込んだままのような、ずっと変な夢の中にいるような気がしていた。グラトニーの腹の中にいたことも、そのあと起きたことも、あの倉庫でのことも全部夢で、今もまだ目が覚めていない。そんな気持ち。
だが同時に、だからこそ目覚めなければと思っていた。何か確かな現実の手がかりを探していたように思う。
ふわふわした覚束ない気持ちの中、必死で考えていた。
既に多くのことが起きすぎていたからだ。変わってしまったリン。腕を失ったランファン。ウィンリィと傷の男。そして――あの倉庫で起きた、こと。
このままではいけないような気が漠然としてた。これまでのこと全て、飲み込んで消化して、次の行動を起こすためのの足がかりが何か必要だった。
俺の横っ面を張り飛ばすくらいの勢いで、余計なことは考えるな、立ってひたすら前に進めと駆り立ててくれるような誰かが、欲しかったのだ。
全くの行き当たりばったりで、俺は中尉にその役割を求めたのかもしれない。
灯りのついた家。人の気配。片付いていないダンボールにすら宿る生活のぬくもり。夜の夢から昼間の現実に、呼び戻してくれる誰か。
「銃…何発か使ったけど、人は撃ってないよ。」
中尉に差し出した銃には血のりが詰まっていた。あの血の池、異空間から運んできたものだ。リンと俺と、奴しかしらない場所の記憶。
中尉が慣れた手つきで銃を分解し、汚れを落とすための薬剤に部品をつける。幻影のような異空間の存在を確かに示す痕跡が、俺の目の前で消えていく。
それと共に俺の思考もゆっくりと動き出し、思い出す。あのときの、街中での攻防戦。ほんの数日前の筈なのに、もう随分遠い前のことのような気がした。
俺たちは血を流さなかった。流さずに済んだ。
怖かったからだ。俺は撃てなかった。仲間が危ないときも、撃てなかった。
そして撃たせなかった。気づいたら、身体を張ってウィンリィの敵討ちを止めていた。危険を顧みず、考えるより前に身体が動いた。
すると不意に、中尉が言った。
「ごめんなさいね。ウィンリィちゃんと傷の男の事知らなかったから、重荷になる物持たせちゃったわね。」
突然言われて、俺は当惑した。しかも中尉はこう続けたのだ。
「守ってあげてね。大好きなんでしょ、ウィンリィちゃんのこと。」
不意打ちに俺は飲み物にむせて咳き込んで、不様なほどしどろもどろに反論する。
「そんな、あいつは幼なじみで、家族みたいな…守るとか何とか、当たり前っつうか…っ…」
本当に、自分でも思いがけないくらい狼狽えた。
中尉の目には単に照れているように見えたと思う。実際、いきなりウィンリィを異性として意識しろと言われたように感じて、全身からくすぐったいような、そしてどこか後ろめたいような気持ちがごっちゃにこみ上げて動揺した。
だけど、それだけじゃない。うまくいえないけど、そのとき、俺は強い当惑を感じたのだった。中尉が俺を「向こう側」の人間としてみてると感じたからだ。
つまり、中尉は大人で何かを背負っていて、彼女からすれば俺は銃を重荷に思うような「子ども」なのだ。
そしてウィンリィを守れと言う。それも、銃を手にとって軍人として敵から守れ、というのではなく、きれいな手で、ウィンリィと同じ場所に立って、守れ――――といわれたように感じた。
確かに俺は、ウィンリィに人を殺して欲しくない。誰かの血を流させて欲しくない。それが例えスカーでも。そして俺もなるべくなら、誰も殺したくない。
だけど今、目の前の中尉の凛とした眼差しを見ていると、ある悲しい可能性に気づく。
――――俺たちが今、殺さずにいられるのは、誰かが俺たちのかわりに手を汚してくれているからじゃないだろうか?
それがあるから俺は、殺したくない、銃を怖いモノだなどと言えるのではないか。丁度、温かい食事と快適な部屋があるから、氷雨の降る戸外に出かけないでいられるように。
犠牲は出さない。殺さない。あの遺跡で一度は胸に誓ったのに、どこかウィンリィにも似た金髪の、中尉の白い横顔を見ていると気持ちが揺らぎそうになってくる。
民間人であるウィンリィはともかく、俺は国家錬金術師で軍属だ。従軍の可能性もある。
戦争だらけのこの全体主義国家で、今のところそれを偶然免れているというだけだ。
そんな俺が「殺したくない」と思う。そんな願いを持つ権利はあるのだろうか?
目の前のこのひとや大佐が当然のように背負っているものを、俺に拒否することが許されるのだろうか?
そして中尉は何故、それを黙って受け入れるような言い方をする?
だからつい、訊いてしまった。
「中尉はさ…銃、重荷に思ったことはねぇの?」
すると、即答された。
「重いとか、辛いとか、今更言う資格は私には無いもの。」
「なんで?」
「過去に人の命を沢山奪っているから。そして、この道を行くって決めたのも自分だから。」
はっとした。そこに紛れのない覚悟があったからだ。見上げた先、眼差しの中に、火花のように意志の光が煌めくのを見た気がした。
俺は一瞬気圧され、自問自答する。
俺にそれだけの思いがあるだろうか。たとえば、俺は同じだけの決意を持って、こう言えるだろうか?銃を使わない――――殺さない、と。
「…イシュヴァールの話、訊いていいかな。」
こう切り出したそのとき、俺も何かを覚悟したんだと思う。
俺たちの旅が目的を変えること。もう戻れない道に踏み込むこと。言葉にはならずとも、漠然と分かっていたような気がする。
「大佐は訊いても何も言わねえし、ウィンリィの両親のことも、傷の男のことも……あと、内乱の発端になった子ども射殺事件も、」
口にした途端、挑むような赤い瞳のまなざしがふと、脳裏に蘇った。
(…覚えてるかい?あの内乱が勃発したきっかけを。)
(気持ちよかったね、あれは。弾丸一発で、みるみる内乱が広がっていく様は、爽快だったぁ…。)
「…知らないことばかりで、自分の無知さにまいる。」
俺と違って、あいつは何もかも知ってるのだろう。きっと目の前の中尉よりも。
今更ながらに気づく。
知っていて、本当に嬉しそうに笑っていたわけだ。そうだ。楽しくてたまらないって顔をしていた。
改めて思い返し、胸が締め付けられるような気持ちに襲われる。
あの倉庫では何故か思い出さなかったこと。多分、状況に流されるままになって目を背けていたこと。
俺の幼なじみの両親や村の人や、多くの人が死ぬきっかけを作ったのはあいつなのだった。幼い子どもも虫けらのように、殺した。
要は究極の黒幕の一人。計画的な虐殺の首謀者、その本人と俺は相対していたのだった。
だけどぎゅっと目をつぶると、思い浮かぶのはもう一つの光景。
蝋燭の光に照らされた横顔。まるで別人のように穏やかで、無防備な笑顔。
そしていやだったはずなのに、面食らったはずなのに、途中から楽しんでいた自分。あのとき感じた性的な興奮と……奇妙に温かい気持ち。
思い出し、認めて、いたたまれなくなってくる。時間が立てば立つほど、混乱が深くなる。
俺はどうすればいい?
あのときのことを、どう考えればいい?
単なる事故だった。誘われて気の迷いで、一瞬楽しかった。そういうことにして、忘れることもできるはずだった。
起きたことの意味なんて何も考えずに、弟と、いつもの生活に戻ればいいのだ。簡単なことのように思える。
でも、何故かそれがどうしても、できそうにない――――と、気づく。
中尉が銃を拭く手を止めて俺を見た。まっすぐな瞳と視線がかち合う。彼女が言った。
「……主観でしか語れないけど、」
俺は無言で頷く。聞きたい、と思った。俺の知らない場所で起きたことの真実を、出来る限り。
過去を理解するために、そして俺が今までにしたことの意味を考えるために。
ウィンリィの両親が殺され、一つの民族が滅んだ戦いの話を、そしてあいつが引き金を引いて、多くの人の血が流された内乱の話を、今聞きたい。
「…私が、イシュヴァール殲滅線に関わったのは、士官学校最後の年だった。」
出来る限りのことを知りたい。その上で、自分のしたこと、これからすることを考えたい。
ちょうど目の前の中尉が、何か壮絶な体験の中から自分の道をつかみとったように。
それには遙か及ばないながら、俺も自分なりに、答えを出すしかない。
たとえ、それが辛いことであるとしても。
*
(錬金術師は真理を探究する、か…。)
宵闇の中をひとり歩いていく。夜風が額を撫でた。
(俺は、身近な過去すら知らないままでいた。)
ほろ苦く嗤う。
ホムンクルスのせいで、戦争が起きた。
煽られて、殺さずにいられなかったイシュヴァールの人びと。中尉も、殺さざるを得なかった。数多くを、離れた場所から、しかし確実に。
空気に満ちた土煙と硝煙の臭い。そして腐臭。忌まわしいが忘れられない、忘れてはいけない記憶。俺はその話にただ圧倒され、固唾を呑んで聞き入った。
全てを理解できたわけではない。だが、前よりは遙かに、世界が明確な輪郭を取って現れたような気がした。
中尉や大佐や――大人達が抱えてきた荷の重さ、彼等が俺たちに何を残そうとしているのかということ。彼等の思い。少しでも、知ることが出来てよかったと思った。
一方で、謎のままに残ったこともあった。
それは、ホムンクルスは何故殺すのか、ということだ。
何故、やつらは俺たちを殺しあうようにし向けるのか。
こればかりは中尉には直接関わりがないから、聞きようもない。
人間を虫けら同然に考えているから?
俺のよく知らない、奴らの「目的」のため?
そうか。わかった。でもならばどうして、その「目的」がある?
だいたい、どうして俺たちをそうまでして、見くだす?
「あいつらは悪いやつらだから。」そう思うのは簡単だ。
だが、そう割り切るには事態は錯綜しているように見えた。何より俺が、割り切れていない。
(エンヴィー。)
どうしても浮かんでくる、名前。
(…お前は、何故殺す?)
嬉しそうに、言った。子どもを殺したと。内戦を起こしてやったと、歪んだ笑顔で笑っていた。
命令されたから?それが楽しいから?
確かにあいつは人間を、屁とも思ってない。
だが、それにしても、何故あんなに嬉しそう――なんだろう。
あいつの親父は醒めた目でリンを見て、虫けらのことは何とも思わないと言い放った。頭に来たけど、その方がまだ分かる。
胸がむかむかするが、筋は通ってる。ゴミのように思っているという発言と無関心は容易に結びつく。
(それに引き替え…あいつは矛盾だらけだ。)
(でなきゃあんなこと…起こるわけない。俺に、あんな…。)
唇をかんで立ち止まる。空を見上げた。虚空に月が浮かんでいた。
冴え冴えとした輝きを見つめながら、何とも言えない感情が胸に満ちていく。
苦しい、と思った。
何故かは分からない。ただ、今、あいつのことを考えると――――苦しい。
ホムンクルス。あいつは、あいつらは一体、どういう存在なんだろう。
死のにおいがする。血のにおいがする…。
俺たちの敵、なのか?そうなんだろう。
でも、弟と連れ立っている姿が浮かぶ。あともうひとり、今はもういないホムンクルスの女と。
まるでふつうの人間の家族のように似た顔立ち。わかり合っている気配。
あの弟も、そういえばこないだの戦いで死んだのか?いや、違うのか?
戦いの最中だったから俺にはよくわからない。錬金術は封じられるわ、リンはあんなことになるわで、やつらの仲間の生死などどうでも良かった。ちょうどやつらがいつだって、俺の同胞の生死などどうでもいいように。
戦っていたのに、その肌に触れた。
あいつの指は温かかった。俺の生身の部分も、外気に冷えて冷たいであろう金属の腕も、同じように撫でた。
咎人の証、多くの人間がぎょっとしたり、物珍しそうにおそるおそる触れるこの機械鎧も、奴にはどうでもいいのだ。機械の部分の冷たさに震えることもない温かい指があるから、微塵もひるまない。
それはあいつが、賢者の石で出来ているからだ。
俺が弟と自分のために探し求め、だけどその成り立ちを知って、今は諦めようとしているあの石。
数多くの魂を犠牲にしたそのエネルギーの結晶があってこそ、あいつは存在している。
暖かく血の通う肌も、人間のような姿も、その存在すらもあの石で保持し続けている。
俺が意志の力で拒否できるものが、あいつにとっては生命を維持するための源なのだ。
人間の大量の死と引き替えに、初めて成り立つ生。
(まるで、原罪。)
(あいつは…………生き方を選べたのだろうか?)
そして問いが蘇ってくる。
俺が殺さずにいられるのは、誰かが俺たちのかわりに、手を汚してくれたからじゃないだろうか?
俺が殺さずにすむのは、どういうわけか偶然にも、殺さなくてもいい場所に生まれたから――――ではないだろうか?
今度は中尉と俺の話じゃない。
俺と、エンヴィーのことだ。
【作者後記】
エドの筆下ろし話がなんかすごくシリアスになってしまいましたが^^;
でも、結構この二人って背格好だけは似てるのに境遇は正反対なんだよね〜、とか前から思ってたんで、自己流ながらもホムンクルス論を書けて個人的には満足です。
そしてまさかのエドがエンビを意識しだす展開。何となくこれまでエンヴィー→エドを書き慣れていたので、自分的には珍しい話になりました。その気になるとやたら深くなれるというか、正面衝突みたいな関係が書けるカプなんですよね、これ…。それでいいのかどうかはまた別として。
イシュヴァール戦については、踏み込むか迷い、正直本当に扱いが難しい箇所なので苦しかったですが、とりあえず出来るところまでトライしてみました。まあ、色々甘いとは思います。あと、15巻と比べて読むとねつ造ぶりが甚だしくてちょっと笑えるかもです。いろいろすいません。それでは。(今日は801の日、2010/8/01)