The Father put a mark on me, lest any who came on me should forget who I was.

his name

3.


いつの間にか恐るべき速度で日は沈もうとしていた。名残の陽光が寂しげにくすみ、光と影のコントラストがぼやけていく。
だが薄闇に青白く浮き上がるように見える肌から、視線をそらすことが出来ない。

予想通りそれは一見したところ人間の少年の、すなわち俺自身のものとそう変わりはない身体だった。ただし幾つかの鮮やかな特徴を覗いては。

「額と、背中にも……」

掠れた声。喉がつまったように言葉が出てこない。

「そう、印があるね。他の兄弟達みたいに。」

出会ったことは数えるほどしかない。慌ただしく戦ったり、協力したり。
服の模様とも入れ墨とも判別がついていなかった。第一、暗い色の衣服に紛れて形など意識したことがなかった。
だがこうして裸身を晒すとわかる。くっきりと柔肌に刻み込まれた赤い印。
誇らしげに晒された、それはまるで何かの暗号のようだ。

次の言葉が出てこない俺にエンヴィーが歩み寄る。白い裸身の上、長い黒髪が細い流れを無数に作りながら、動きと共にふわりとなびいた。

「気になる?触ってもいいよ。」

言うが早いか、にゅっと無造作に腕が伸び俺の左手を取る。生身の方の。思わず反射的に振り払った。

「…!やめろよ。」

「何でさ。減るもんじゃないだろ。」

「気安く、触んな。」

邪険に吐き捨てて、触れられた部分をもう片方の手で抑える。指の感触が奇妙に残り、機械鎧の冷たさでも消えない。

「…つまんない奴。人柱候補とはいえ、所詮お前も人間だな。」

エンヴィーが憮然とした声を出した。腰に手を当ててあけっぴろげな仁王立ち。俺は顔を背ける。

「何滅茶苦茶なこと言ってんだ。もういいから服着ろよ!」

すると突然、相手はげらげらと笑い出した。

「なっ、何笑ってんだよ!」

ぎょっとして叫ぶ。だが止まらない。可笑しい、たまらない、と腹を抱える。身体を折り曲げて、痙攣するように、笑い続ける。
そして唖然とする俺の前、こみ上げる笑いを抑えようとするように口を手で覆いながら、言ったのだった。

「おかしいさ。だって見かけがほんのちょっと違うだけで、この有様だぁ。」

「な…見かけ?何の話だ。」

だからぁ、と視界の中、唇が嘲るように歪む。

「このエンヴィーの身体なら、もうイヤってほど見てるだろ。グラトニーの腹の中で、全部見せてやったじゃないか。口の中まで、全部!なのに、あんたの今の反応と来たら…あぁ、おかしい。」

何かに貫かれ、俺は言葉を失う。ほんとに、自分でも意外なほど動揺した。

俺があの場所で見たエンヴィーの「身体」、それは八本脚のでかい龍のような姿だった。今とは全く違う。巨大で全身が緑色の鱗に覆われ、無尽蔵にわき出る賢者の石のエネルギーにより、腹からは無数の体組織が生成されては崩れ落ちていた。

つまり――――「人型」ではなかった。
全く違う生き物の形をしていた。
だから当然、俺のリアクションだって全然違った。

そう、当然。

だけど…今、こうして突きつけられるとその「当然」さが俺を突き刺すのだった。

だって俺の弟は、鎧なんだ。
そして俺は普段から、生身でなくてもあれは俺の弟だと、人間だと言いはってきたんだ。
外見なんて関係ない、魂があれば同じ事だと。

こいつはそんな俺の気持ちを知っていた。ロクに話したこともなかったのに、何故か見抜いていた。
だから今、こうして俺をあざ笑おうとしてるのだ。逆手にとって。

そんなことをいう俺が、皮膚一枚のことでたやすく反応を変えるじゃないか、ドキドキしたり狼狽えたり、逆に嫌悪感をあらわにしたり、たやすく翻弄されるじゃないかと、そう言いたいのだ。

つまりは挑戦だった。
俺の覚悟など浅い、所詮人間などその程度だと、全身を晒しながら、身をもって示そうというのだ。
俺の信念をくじくために。



いつもの俺ならきっと反論できただろう。
それとこれとは話が違う、お前のやり方はおかしいと、すぐに切り返せたはずだった。
だけどこの時は分が悪かった。最初からペースを乱されすっかり冷静さを失っていた。
だから一言も言い返せなかった。



いいねその表情、歌うように軽やかな、だがはっきりと侮蔑を込めた声を聞いた。

「全く人間って奴は…わかりやすすぎて、やんなっちゃうよ。特にあんたみたいなガキはさぁ。」

三日月のようにつりあがった笑みを顔に貼り付けたまま、俺の方にゆらりと身を乗り出し、歩み寄ってくる。距離が縮まり、俺は思わず後ずさった。

「この身体が気になるんだろぉ。遠慮するなよ。ほら。」

数歩下がったら後ろは壁。追い詰められた。

「残念、行き止まり。」

そのまま、あっさりと間合いに入られてしまった。至近距離、完全な逆光で相手の表情が一瞬見えなくなる。
どこか催眠術のような抑揚の声が響いた。

「…おチビさん、若くてかわいい顔のおチビさん、人生は楽しい?それとも辛い?」

長い指がのびてきて俺の顔に触れる。そのまま、すっとなぞられた。俺のあごと首の皮膚の境目の辺り、確かめるように。

「気持ちのいいことは知ってる?それとも、まだ…………」

きれいなからだ、なのかな。

囁くような声のトーンが、ふと落ちる。


突き飛ばすなら今のうちだった。最後のチャンスだった。
いや、そんなんじゃ生ぬるい。顔に機械の右手でパンチ入れて膝蹴り喰らわしても足りないと思った。そのくらいのことをされてる、そう頭の中で声がした。


だが出来なかった。
適切な判断の機会を、逃した。


薄闇に目が慣れたとき、見えたからだ。
至近距離、交わした視線の交わるところ、揺れる冷たい炎がある。
蛇のように細い瞳孔を持つ虹彩。人ならぬ瞳。色は賢者の石の、赤。
口元はあんなに満面の笑顔なのに、それは全く笑っていなかった。
それどころか淡い逆光の中、何か底冷えのするような光を宿していた。

(――――憎悪?)

一瞬、殺されそうな気がした。

人柱を殺せるはずはない。わかってるのに、ぞくりときたのだ。
しかも奇妙なことにそれは単なる恐怖ではなかった。皮膚の上に蘇ったのは、何故か、あのとき、あの場所での記憶。

生臭さ、熱さ、うごめく熱い粘膜の感覚、唾液に濡れていく肌。
捕食の、記憶。

刹那のことだった。単純な嫌悪でもなく、ただ全身が囚われた。
まるで時が止まったように、凝視したまま、一ミリも動けなかったのだ――




すると突然、ぽん、と俺の肩に両手がおかれた。

「!」

時が動き出す。俺は捕まっていた。

「ふふっ、逃げないっていうのが全ての答えだよね。」

それが合図だったかのように、突然空気が変わった。俺の両肩においた手はがっちりと俺の動きを封じ込んでいるが、のぞき込んでくる双眸に先ほどの剣呑な輝きはもう、ない。
切れ長の瞳がくりっと動いて流し目気味に俺を見た。

「結局、興味あるんだよね、おチビさん?」

からかうような声。だがどこか念を押すような響きも混じっていた。しかも薄暗くてわかりづらいが、その頬は心なしか上気しているようですらある。
何だ、こいつ。
嫌がらせ以外の何者でもないやり方で迫ったかと思ったら、今はまるで演技から日常に戻った役者のような豹変ぶり。戸惑った。

が、問題はそこじゃない。もう何度目かになるそのNGワードに、俺はようやく重しがとれたように大声を上げる。

「だっ…誰がチビだ!俺はエドワード・エル…」

「遊ぼうよ、鋼の錬金術師。」

人の話を聞いてんだか、聞いてないんだかわからない口調で、相手が俺を遮った。
そう言って楽しそうに屈託なく手をのばしてくる。しかも今度は直球で下半身に。
快感とは言いがたい、神経に直接障られたような刺激。他人にそんなことされるのは初めてで、喉から、くっ、と変な声がもれた。不意打ちだったのと、それまでの緊張で既に身体が昂ぶっていたせいだろう。その場所は俺の意志と無関係に、いともたやすく生理的な反応を返してしまった。

耳の少し上で愉快げにヒュー、と口笛を吹く音。
うつむいたまま、狼狽にゆっくりと顔が熱くなるのを自覚する。

「時間はあるんだ。いろんなこと、ゆっくりと教えてやるよ。」

「…変態野郎。」

そう悪態で返した途端、身体の熱に負けた。






【作者後記】
おチビさんが逃げなかったのでエンビたんは喜んでしまいましたとさ。

それにしても真エンヴィーになるとき、本人はどんな気分なんでしょーね?
人間の時と大分感覚は変わってるんだろうとか(だからエドも口に入れちゃうんだろうとか)思うわけですけど。
しかし、しかしですよ?
仮にあれが、毎回全裸を晒してるような気分だったとしたら…だからあんなに出し惜しみして、冥土のみやげに見せるとか何とか言っちゃって勿体ぶっていたのだとしたら………… (;´Д`)

…何だかだめなことばかりいつも考えてしまいます。

というわけで長長しい連載ですが、次回やっと初エッチシーンとなります。
かなりエンビが攻勢に出てますが、一応エドエンの予定です。…ほんとうです。
ここまでお読み下さった方、いらしたらどうもありがとうございました!
(2010/5/16)