Baby I give you a chance, but I know you will never see.
his name
2.
アルは反対した。そんなの嘘に決まってる。何かの罠だったらどうするんだと。
だが、今更どんな危険な罠があるっていうんだ?
奴らのアジトで見た「お父様」、今まで俺たちにつきまとってたやつらの親玉だというそいつはあっけなく俺の目の前に現れた。命を狙われるかと思ったら治療をされてしまった。しかも身体を大事にしろと言う。生かしてやるという。
要は俺たちなんざ敵じゃねえってわけだ。大人しくしてれば何も起きない。それどころか危機が迫るたびにお節介な救援者が来る。息をするたび痛かったあばらの骨折は嘘のように治り、額に残った薄い切り傷だけが戦闘の記憶。とことん、何かの目的のために培養されてるんだって思い知らされた。
…そうだ、不愉快だった。
誰かの掌で踊り続けているような不快感。最悪だ。
だから思った。むしろ罠があるなら、かかってやろうじゃねえか。ケンカ上等。
俺の直観は、奴らは俺に危険なことは何もしないと告げていた。きっと俺や弟のことも牧場の柵に囲い込んだ乳牛くらいにしか考えてねえ。そしてこういう時の俺のカンは、大抵、正しい。
だが一方で、命に迫る危険はないにしても、エンヴィーが単なる親切心から俺を呼び出すとは考えづらかった。そんなことがあるはずもない。よくて何かと等価交換、悪ければ向こうが一人勝ち。そのくらいの気でいると考える方が自然だった。
だが一体何を?今更奴らにどんな得るものがあるっていうんだ?それがわからなくて、気にかかった。
わからないから慎重にしろとアルは言う。それは俺も頭ではわかってた。その方が賢い。承知していた。
だがだめなんだ。こういうときどうしても、俺は正反対の方を向いてしまう。
だってわからないままは気になるだろ。この目で確かめみたくなっちゃうだろ。
まずはやってみる。前に進んでみる。そしたら何か、思いがけない景色が見えてくるかもしれないじゃないか。
つい、そんなふうに考えてしまうんだ。
それともう一つ、俺は意識してなかったが、この時既にアルと俺とで決定的に違ってしまっていたことがあった。
(……どうせ、相手はあのエンヴィーだしな。)
ホムンクルスと聞いて基本的に警戒心をゆるめない弟と違い、俺は何となく奴の手の内を知り尽くした気でいたのだ。
あの薄暗い場所でいやいやながらも顔をつきあわせてたせいだろう。
まあ要は、少し油断していた――かもしれない。
だから結局、気がつくと足が約束の場所へと向かっていた。錬金術師としての用事を二、三こなした後、宿に戻らずふらりと、買い物に行くついでみたいな気分だった。
どうせ時間はかからない。すぐ戻ってくればいいさ。そう考えたのだ。
*
夕焼けまであと少し。まだ明るい空に白い月が出ていた。
古い頑丈な煉瓦造りの倉庫。使われていないらしく正面の入り口は封鎖されている。側壁には大人の背より高いくらいの位置に鉄格子のはまった窓が二つ、三つ。裏手に回ると鍵のかかっていない小さな戸があり、軋みながらもあっさりと開いた。
エンヴィーはまだ来ていなかった。薄闇の中、窓から伸びる細い黄昏色の光を浴びて立ちつくす。
約束の時間より少し遅れて、ヤツは現れた。
「はっはァ、まさか来るとはね。」
「遅えよ。」
「そんなに知りたい?」
「おう。くだらないネタだったらただじゃおかねえからな。さあ、さっさと吐け。」
するとエンヴィーはすぐには答えずに、すぐ側、膝の辺りまで積まれた大きな穀物袋の上にどっかりと腰を下ろす。そのまま、ふう、とのんきに一息ついたかと思うと、顔にかかった一房の長い前髪を気だるそうに払い、上目遣いにちろりと俺を見た。
「『話す』と言った覚えはないなあ。」
「…てめ、覚悟は出来てんだろうな。」
人を呼び出しといて、言うに事欠いてそれかよと、拳に息を吐きかけにじり寄る。もちろん機械鎧の右手の方だ。すると奴はさも驚いたように目を丸め、慌てる。
「ちょ、ちょっと待ってよ。もう、気が短いなぁ。」
いつもながら妙に語尾の延びる猫なで声。俺はますますいらいらしてきた。
「話すことはもうねえんだろ。なら拳で続きを聞くまでだ。」
「だから最後まで聞けって。最初から話すなんて言ってないだろ。『見せてやる』って言ったんだ。」
「…何を。」
にいっとエンヴィーが満面の笑顔を浮かべるのを見た。赤い瞳が愉快そうに瞬いたかと思うと、不意に立ち上がる。相手の目線が急に高くなり、俺は思わず後ずさった。
「グラトニーの秘密を知っただろ。偽の真理の扉。そしてあの錬成陣。」
「あ?…ああ、まあな。」
くそ、並ぶとやっぱこいつの方が背が高ぇな。相手が関係ない話を始めるから俺の頭にもどうでもいい考えがよぎる。
―――次の台詞を聞くまでは。
「だから今度は、この嫉妬の秘密を見せてやるよ。」
「――は?…って、お前の正体ならもう一通り見せてもらった…はず…」
怪訝な顔をする俺にエンヴィーが腕組みをしながら、俺の側から少し離れ、ゆっくりと壁際へと歩いていく。そして夕陽が窓から最後の光を投げかける場所へくると立ち止まり、振り返った。まるでスポットライトを浴びた俳優のように、どこか演劇じみた仕草。
「そう、それも一つの真実だね。だけど、まだまだおチビさんの知らないことがあるのさ。例えば……真実の奥の、もう一つの真実。」
「…って、んなの、どうやって…」
だが言葉とは裏腹に、漠然とした予感が俺を捉える。何かはわからない。
ただ奇妙な胸騒ぎが、した。
見つめる先、切れ長の瞳が細められ、笑みが深くなる。いかにも愉快そうに。
「だからこれから、それを見せてやるって言ってるんだよ。確かめればいいさ。自分の目と、手でね。」
何だ?何を考えている?呆気にとられたまま、俺はとっさに言葉が出てこない。
「解読できるかは、あんたの腕次第だよ。錬金術師。」
一瞬だけ、エンヴィーの上にひときわ眩しく陽光が輝いた――と思った瞬間、視界の斜め下、突然ぱさりと何かが落ちる。
左手用の黒い手袋だった。エンヴィーがいつも付けている指の部分に穴が開いてるヤツだ。俺はぽかんと口を開けたまま床の上に落ちたそれを見て、視線を戻す。わけがわからなかった。するとエンヴィーがもう片方の手袋を脱いで、また捨てた。薄い黄金色の光の下、露わになった手の白さが無造作な動きと共にスローモーションのように視界に焼き付く。
胸当てのような上半身の衣服に手がかかったとき、ようやく何が起きているのかを理解した。
まさか。
「ちょ……お前、なっ、何やってんだよ!」
「見ての通りだよ。服を脱いでるのさ。」
「なっ……!」
絶句した。
(こ、こいつ…)
混乱した頭でさすがに気づく。怒りか驚きだかよくわからない感情で心拍数がめちゃくちゃにあがっていく。
(…はめられた!)
(最初から何も教える気なんて無かったんだ。でもって、)
狼狽と悔しさにぎりりと歯を食いしばる。
(…俺の反応見て、面白がってやがる…!)
ここに来るまでも来てからも、百戦錬磨の俺様なりにあらゆる攻撃を想定していた。死角からの攻撃がないよう計算され尽くされた立ちポジション。逆光への配慮、足下の確認。
だがこういう事態になるとは夢にも思わず、結果、俺は悲しいほどに無防備だった。
喉は詰まり、急上昇する血圧に頭がガンガンする。しまいにはわけのわからない汗まで出てくる始末。どうしようもない。
その間にも眼前で容赦なく進行するストリップショー。
(まずい、何とかしなければ、このままでは…。)
薄い布地の上着が腕を伝い、ついには地面に落ちる。うるさそうに長い髪をかき上げる仕草。
露わになった平らな胸は自分のと同じ見慣れたものだった。
馬鹿野郎気持ち悪ぃな、男の裸なんか見て何が面白いっていうんだ――そう言おうとした。
いや、そもそも最初からそう反応すべきだったのだ。
なのに出来なかった。今も出来ない。声が出てこない。
そしてどうしても、視線がそらせない。何故。
――――無意識のうちに漠然と気づいていたからだ。
夕陽の名残に照らされた、肌の輝きに微かな違和感がある。筋肉の張った腕に、脚にどこか柔らかい曲線がある。
そして何より俺とは違う、気配。
(そもそも男……なのか?いや、ひょっとして、)
突如、脳裏に去来し、明滅するイメージがあった。
それはあの、「人間」の錬成陣。
(向かい合う竜、)
(完全な人間、雌雄同体の象徴、錬金術の理想。それは、)
我知らず、ごくりと生唾を飲み込む。汗ばんだ手を握りしめる。
(こいつのもう一つの姿と同じ―――――八本脚。)
最後の一枚、腰に巻かれた黒い布が、ぱさりと音を立てて床に落ちた。
【作者後記】
いろいろすいません。
どうも自分はストリップショーがよほどすきなようです。
そうです妄想です。夢を見ています。多分あの黒い服のせいか、または単純に頭の腐り具合のせいでしょう。
別カプで恐縮ですが、このサイト始めた頃に書いたグリエン小説("Perfectus"というエンヴィーの「初体験」話にあたるやつ)でも実は一回やってます。
今回の流れとはだいぶ雰囲気が違いますが。"Perfectus"の方は「人間」の錬成陣のある部屋でグリードに頼まれてのストリップショーという流れですんで(ええ、そういう話なのです)。
ちなみに今だから言うと、錬成陣を出すというあのアイデア自体は何となく13巻(グラトニーのお腹の中)を意識してました。でもってどうしてグリード相手に13巻のエピソードを意識したかというと、それより先にエドエン妄想してたからです。
エンヴィーの長いホム人生を考えたとき、「錬成陣」+「ストリップショー」という二つの要素をめぐって二つの妄想話が対になるような感じだと面白いなあと思って”Perfectus"の演出を考えたのでした。そしてグリードが最初の人でエドが最後の人だったら面白いなあ、とも思ってました。こう、ぐるっと運命の輪だか業だかが巡ってくる感じでね、最初と最後に、気づかずに似たようなことをしてしまうという。
しかも、その時からはもう、ものすごく時間がたってるから、エンヴィー本人の立ち位置とか気持ちのあり方は全然違うんです。
そんな風に妄想してはいたものの、"Perfectus"を考えてた頃はまだエンヴィーは本誌で生きていて(って変な表現ですが)、エドとのやりとりがどういう展開になるのか読めなかった。それでエドエンの方はあまり話が進められないなあと感じていました。
二年経って大分状況が変わりましたね。そう思うとちょっと感慨があります。かくなる上は二次創作なりにちゃんと落とし前をつけられるように頑張りたいです。
……ええと、たった二話目でする話じゃなかった気がしますが、今日ちょうど、あと二回で本誌連載が完結という話を聞いたので、つい語ってしまいました。(2010/5/9)