エリクシール

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4.花火のように



ぼんやりと歩きながら学校を出る。芝生の続く敷地を抜けて車道沿いの道を少し歩いた。
変な気分だった。葬式のときの光景と肩に担いだ棺の軽さが折に触れて思い出されて、そのつどいくつもの疑問が浮かんでは消える。
正直もう、エンヴィーのことなんて考えたくない。どうせ何もわからないんだから、考えるのをやめたい。なのにやめられない。

不謹慎なたとえをするなら、まるでそばででかい打ち上げ花火でもあげられたような感じ。
ド派手で禍々しいその輝きに目を奪われ、つい他のものが見えなくなる。他にやるべきことがあるって、見るべきものがあるってわかっていても、頭がそれにとらわれてしまう。繰り返し繰り返し、同じ問いがぐるぐる脳裏をめぐって、しまいには軽い頭痛がしてくる。

ついこないだ、クラスの誰かが言った。

「死ねば構ってもらえるよね。」

そのときは聞き流したけど、ちくりと胸に棘が刺さったように感じた。

実際確かに、自殺なんかしなければ誰もこれ程あいつのことを考えたりしなかったろう。それは事実だ。

別にそういう死に方をすることが、いいとか悪いとか言いたいわけじゃない。ただ、複雑な気分なんだ。
たとえば、今目の前で死のうとするやつがいたら俺は全力でそれを止めるだろう。別に親切からじゃない。理屈以前の衝動。だって、わけもわからずいきなり死なれても、困る。そいつがたとえ俺と何も関係がない見知らぬ他人だとしてもだ。

だがやつの場合それはすでに起きてしまった。だから俺はただ呆然と受け止めることしかできない。その事実がやたらと、重い。
しかも時間が経てば経つほど重くなってくるような気がするんだ。今更親戚だという話を聞いたせいもあるだろう。
最初の驚きが過ぎて、考える余裕が出来た途端に改めて忘れてた色々な記憶が更に蘇ってくる。そして何か俺に出来たんじゃないかとか、あのときもっと話せば良かったのだろうかとか、考えても仕方ないことをあれこれ思ってしまう。

「あ、エド。」

一戸建ての家が続く住宅地に入り自宅の近くにさしかかったとき、ウィンリィ・ロックベルの声がした。庭の芝生で植物に水やりをしていたようだ。ホースを持ったまま駆け寄ってきた。
ウィンリィはピナコばっちゃんの孫で、両親が開業医をしている。ピナコばっちゃんの家とは一ブロック離れた場所に住んでいた。
ばあちゃんの家にもよく遊びに来るから、親戚みたいなもんだった。

「お疲れ様。お葬式、行ってきたって聞いた。」

「え?ああ…」

「親戚だったんだね。知らなかった。」

「って言っても俺は殆ど知らないけどな。他人に等しいよ。――お前は、そういえば何か知ってるのか?」

「ううん。殆ど話したことないし…あ、でも、」

「何?」

「ううん、たいしたことじゃないのよ。どうでもいいこと。」

ウィンリィはちょっときまりが悪そうな顔をした。

「何だよ、もったいぶって。」

「たいしたことじゃないのよ。でも一度だけ、一緒に踊ったことがあるの。」

「はぁ?何でお前が?いつ?」

「もうずっと前よ。終業式の後のパーティで、まだエドはいない頃。夏、芝生の上で大きい音で音楽が鳴ってて、友達とはぐれちゃったの。そしたら長い髪の人が目の前にいて、最初女の子かと思った。声聞いてもすぐに分からなくて。そしたら音楽が変わって、踊る?っていわれたから男の子だって気づいた。」

「で、踊ったってわけか?あんな怪しい感じのヤツと…」

からかう気分で訊いたつもりだったのが、我ながら何故か意地悪な声になった。ウィンリィが肩をすくめる。

「その頃はまだ誰もあの人のことよく知らなかったのよ。でも踊ったのは最初だけ。それも大したことしてないわ。向き合ってリズムに合わせて、一回か二回手を取られてくるくる回ったただけ。あの人、リズム感はいいみたいで上手だった。でも一曲終わったら向こうの方が、知り合いを探すからって言ってまた別れたの。」

「へーえ。」

「…でも、噂で言うほど変な人には見えなかったわ。ちょっと派手な格好してたけど…。」

ウィンリィとエンヴィーが並んでいるのを想像するのは奇妙な感じだった。接点があったことも俺には意外だった。何だか別の世界に住んでいる同士に感じていたからだ。しかも言葉の端から割と好意的な印象を持っている様子が伺えたのも驚きだった。

「何か意外だな。」

「え?」

「お前はああいうの、避けて通るタイプかと思ってた。」

男どもが全体的に揶揄するような目で見ていたのに対し、エンヴィーに対する女子の反応は両極端だった。気持ち悪がって話しかけようともしないタイプと、その正反対に、こっそり後をつけて崇拝しているようなタイプがいた。後者は大抵ファッションや音楽のセンスが近くて、かつクラスの中では浮いている感じのやつが多かった。少なくとも、ウィンリィは明らかにそちらではなかった。

「何それ、決めつけないでよ。」

「だって見るからにうさんくさいヤツだったじゃん。お前そういうの苦手だろ。そもそもよく踊ったよな。」

死者のことをあれこれ難癖つけるのはよくないと良心の声がはしたのに、自分でも理由の分からない落ち着かない気持ちに突き動かされて言ってしまった。ウィンリィの視線がふと考え込むように彼方を見る。

「…前に一度、偶然見ていたからかな。公園に弟さんといたのよ。あんたがこっちにくるすこし前くらいだったと思う。」

「弟?…ああ。」

俺は、美人の姉さんの傍らで子どものように満面の笑みを浮かべていた男の姿を思い出した。そういえば知的障がいがある弟とエンヴィーが散歩している姿は俺も何度か見かけたことがあった。

「一緒に芝生でホットドッグ食べてて、ケチャップをべたべたにこぼしたのをふいてあげてた。面倒見がよさそうで、何か意外だったから覚えてる。そのすぐ後よ、パーティで会ったのは…」

ふとウィンリィは口をつぐみ下を向いた。前髪が影を作る。

「…何か信じられない。もう、いないなんて。」

両親が医療に携わる彼女は死というものに人より少し鋭敏だったのかもしれない。第三者なりに同年代の死を悼んでいる様子が伝わってきて、その表情に俺は、はっと打たれた。
同時に俺も、急に胸が苦しくなった。弟のまるまるとした体躯のかたわらに黒くて細長いあいつのシルエットがちょこんと座って並んでいる様子を思い浮かべてしまったからだ。胡散臭いヤツと繰り返し言ってしまったことが辛くなってくる。

同時にもどかしかった。バラバラの断片が示されて、ただぼんやりと立ちすくんでいるみたいな感じ。チャイニーズと組んで小遣い稼ぎにエリクシールを売っていたジャンキー。ウィンリィに話しかける程度には社交的で、踊りのうまい女みたいな男。休日の午後にみせた面倒見のいい兄貴の顔。つながるようでつながらないイメージ。

リン・ヤオ。ふとあいつの顔が浮かんだ。あいつは何か知ってるんだろうか。俺の知らない、エンヴィーのこと。


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