「どうしタ、エド。」
「――ああ、リン。別に。」
「考え込んでるような顔してたネ。」
昼休みに廊下で窓から外を見てぼんやりとしていたら、同じクラスのリン・ヤオが話しかけてきた。
すぐに答えず、ふと俺はリンの顔を見つめた。リンはチャイニーズだ。東洋系の切れ長な細い瞳はいつも笑っているように見える。だがよくみると目の縁が少し黒ずんで、どことなく疲れた様子だった。そういえば始業式の日こいつはどうしていたっけ?思い出せない。
俺は何となく、エンヴィーのことを話した。葬式に行ったんだ。実は親戚だったらしくてさ。
リンは少し驚いたようだった。一瞬の間があいて、そうなのカ、いつもの特徴的なアクセントで答える。十歳を過ぎてからアメリカに来た移民のリンは今や流ちょうに英語を操るし、数学の成績などトップクラスだったが、言葉にはいつまでも異国風の発音が残っていた。一定年齢以降の移住者にはよくあることだ。
リンはしばらく沈黙して、ポツリと言った。
「あいつ、変なヤツだったヨ。」
「ん?お前エンヴィーのこと、そんなに知ってたっけ?」
「少しネ。」
指でほんの少し、とジェスチャーをして笑う。訊いて欲しいのか欲しくないのか、区別のつかない曖昧な笑みだった。東洋人の表情は読めない。
いつもの俺ならそのまま放置して話題を変えていただろう。だけどその日は俺も変だったから、気まぐれに踏み込んだ。
「意外だな。あまり接点があるみたいに見えなかったけど。」
するとリンはあっけらかんと、こちらが驚くような答えを返してきた。
「Eを取引してたんだヨ。あ、これ内緒ネ。」
げっ、と引いたのは俺の方だ。
Eというのは仲間内の隠語で、正式名称はエリクシール(Elixir)。数年前に発売された鎮痛剤のことだが、一定量飲むと最高に楽しくなってハイになれるらしい。だから次第にその麻薬としての効き目に注目が集まり、しかも合法だということで瞬く間に広まっていた。そして最近、依存性があることやそれを飲んだヤツが引き起こした事件の増加などを受けて、当局が規制に乗り出してもいた。
確か一年ほど前には販売に強い規制がかけられて、医師の処方箋がないと手に入らないようになっていたはずだ。次来るのは完全発売禁止、非合法化だろう。もう時間の問題と思われていた。
だがいずれにせよ、こいつの場合は勝手に売買してる時点でもうアウト、犯罪だ。
「お前…やばい橋渡るなあ。本国に強制送還されたいか。」
「まだ捕まらないヨ。俺には丈夫な脚があるかラ。」
リンは移民で永住権はあるが国籍はない。だから何かあったら滞在許可取り消しや追放の憂き目も覚悟しなきゃならない。他方、この俺は国籍はばっちりだが片脚が不自由。お互い社会の少数派同士とわかってるから敢えてネタにする。こういう冗談を応戦できるくらいの信頼関係はあった。
俺たちは昨年度から同じクラスで、以来、何となくつるんでいた。少なくとも周りからは友達と思われていただろう。
だが「仲良し」だったかといわれれば、実際のところよくわからなかった。この辺、素直にそう言いたくない部分があるのは、俺たちがガキなりに「利害関係」を意識していたからだ。
俺たちは二人ともクラスの「少数派(マイノリティ)」だった。リンは子どもの頃アメリカに来た。親は市の中心部にあるリトルチャイナタウンでクリーニング店を営んでるという典型的な華僑系移民の子弟。そして俺はといえば、やっぱりハイスクールからこの閉鎖的な田舎街に来た新参者の身体障がい者。
もちろんそれで特に重大な問題があるわけじゃない。今は21世紀だし、クラスには少数とはいえ他にもアジア系やアフリカ系がいたから、肌の色が違うだけで露骨に差別されたりとかはない。俺だってリハビリのおかげで義手義足を使いこなし日常生活にはほとんど問題ない。とりあえず最低限平和にやっていける条件は整っていた。
だけどそれでも、「たくさんいるあいつら」と俺たちを隔てる見えない境界線はあって、ガキなりに二人ともそれをよく知っていた。例えばリンは白人ばかりのグループと放課後まで居座って長話をしていることはないし、きっとそれですごく居心地がいいと思うこともない。俺も目の前のグラウンドでバスケをしている奴らと気軽に混じることは出来ない。スポーツをしたければ動きやすくするための特別な義足をつければいいんだけど、それをやってまで入りたい気がしない。そういうことをするのは体育の時間だけで十分と感じる。
要は俺もあいつもそれぞれの事情から、集団の輪の中には入らずぽつりと離れて見ているようなタイプだった。だからふとある日目があって、マイノリティ同士とりあえず協力し合おうか、そんなノリで何となく意気投合していたのだ。
しかし、それにしてもリンがエンヴィーとエリクシールを取引してたとは驚きだった。エンヴィーがその手の薬物ジャンキーだという噂は前からあったが、見るからにうさんくさいくせに先生の前でだけ優等生なリンは、まずしっぽを出さなかったのだ。
だからつい、興味津々で質問を重ねてしまう。
「お前があいつから買ってたってことだよな?それとも逆か?」
「俺がヤツから買って、よそに売りさばいてタ。」
リンはそれ以上詳しく説明しなかったが、そういえばエンヴィーは精神科に通院していたようだから処方箋もとれただろう、とそのときの俺は勝手に推測した。
「でもどういう経緯でまたそんなことになったんだ?」
エリクシールの入手はだんだん厳しくなってるはずで、エンヴィーがルートを持ってるとしても、そんな誰にでも取引を持ちかけるとは思わなかった。学校にはろくに友人も作っていないように見えたから尚更だった。ましてやリンと関わりがあるなんて、その時の俺にはひたすら意外でしかなかった。
思い出そうとしても、二人が学校で話している場面どころか、挨拶を交わしていた記憶すらない。
「貸しを作ったのサ。あとは商売の秘訣を教えてあげたかナ。あいつ、怠け者だからヘタクソにばらまいて損ばかりしていタ。ちょっと工夫すればいいビジネスが出来るのにネ。」
とはいえそんなに大量売買のブローカーまがいのことをしていたのではなく、毎月一ダース程度を近隣に売りさばいて小遣いにする程度だったという。
どういう貸しを作ったのかまでは教えてくれなかった。
そしてこの時、俺は何も疑問に思わなかったし、見逃していた。
どうして、あの用心深いリンが何の交換条件もなく、今まで隠し通してきた悪事をこの俺にいきなりしゃべったのか。
その奇妙さに、全く気づかなかったのだ。
Copyright(c) 2012 all rights reserved.