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  酒場  




昼下がりの午後、酒場にいた。
顔見知りの女と一緒だった。

だから、細身の黒い人影が近づいてきたとき、気配で分かっていたがすぐには振り向かなかった。

「…よお、兄弟。」

「最近見ないと思ったら、こんなところにいたんだ。」

挨拶も無くこの台詞だった。しかも腰に手を当てて仁王立ち。切れ長の瞳は一見無表情だが、二人を無遠慮に見下ろす様子は決して友好的ではない。だがグリードは意に介さず呑気に切り返した。

「おお。もうここが根城みてえなもんだ。なんせ長いからなぁ。」

実際、サウスシティ近郊にあるこの宿場町に男は足繁く訪れており、今回も逗留してから既に半月ほど経とうとしていた。

男は向かいに座る女に、またなと目配せし席を立った。世慣れた風情を漂わせた女は、事情を知らないまでもすぐに何かを察した目をして微笑んだ。碧の目に豊かな金髪をした美人だった。



煙草臭い空間から薄暗い廊下に出て一息つく。酒場は半地下にあり、その上の階には雑貨屋と安宿があった。
腕を組み、上へと続く階段の手すりにもたれかかったまま、エンヴィーは先程から何も言わない。

「久しぶりだな。」

「………。」

「…で、今日はどうした?何の用事だ?」

敢えて訊いたが、エンヴィーによる突然の訪問の理由が自分にあることを男はぼんやりと察していた。

一ヶ月ほど前、二人は初めて関係を持った。それから連絡もせず、一度も逢っていなかったのだ。
別に忘れていたわけではない。その間、エンヴィーもグリードもそれぞれ仕事で各地を走り回らされて、あっという間に過ぎたのだ。いや、忙しかったのはむしろエンヴィーの方で、アエルゴの国境付近を横断しクセルクセス遺跡付近の砂漠地帯まで行かされていたようだった。
だが、向こうから連絡が無かったとはいえ、男の方から敢えて努力して連絡を取ろうとしなかったのも事実だった。

「セントラルから急ぎの伝言でもあったか?」

一応は他に何かの用事があってもおかしくないと考えたので質問を重ねてみる。
相手は答えず、黙って床を睨んでいる。
そして更に数十秒ほど逡巡した後、意を決したように口を開いた。

「…あの女とは仲いいの?」

「ん、まぁな。」

「ヤッてたりする?」

「…いや。あいつとはしてねぇ。」

「じゃあ、他にいるんだ?」

「おいおい、何だよいきなり。」

恐ろしく単刀直入な質問を一方的に浴びせた後、エンヴィーは眉根を寄せ、口を一文字に結んで再び沈黙した。

尖った空気を漂わせる二人に、酒場から出てきた客が振り返る。グリードはため息をつき、とりあえず俺の部屋で話そうぜと階上を顎で示した。階上にある安宿に部屋を借りていたのだ。





「入れよ。少し散らかってるけどな。」

屋根裏部屋に近い簡素な部屋のドアを先に開けて入り、入室を促した。だが彼(彼女)は中をちらりと見た途端、敷居の前で立ち止まり躊躇いの色を浮かべた。

「どうした?」

寝に帰るだけの狭い部屋。
グリードはその時まで明確に意図していたわけではなかったが、エンヴィーの視線を追いかけ改めて気づいた。細い裏路地に面した北向きの部屋は真昼でも薄暗く、今朝起きた時の乱れたシーツのまま放置された粗末な寝台が部屋の中央で奇妙に生々しい存在感を放っている。

「やっぱりいい。帰るよ。」

と視線を逸らしてエンヴィー。

「…登場の仕方といい、唐突だな。」

「色々、忙しいんだ。これからやることもあるし…。」

そう言いながらも細身の身体はまるで足が床に生えてしまったかのように立ちつくし、すぐにきびすを返す気配がない。ベッドから不自然に背けられたままの目線。その表情に浮かぶ当惑と葛藤の色が、男を完全にその気にさせた。一ヶ月の間に生じた距離感が消失する。

「まあそう言わずに、ゆっくりしていけ。」

にやりと白く鋭い歯を見せて笑い、相手が答えるより前に二の腕を掴んで引き寄せた。不意を突かれ、あっさりと細い身体が部屋の中に引きずり込まれる。閉まるドアの音。

「…ったく、何意識してんだよ。俺も大概だがお前も悪ぃぜ。」

やめろよ、といつになく弱々しい声の抵抗が本気でないのは明らかで、何も取って食いやしねえよと笑いながら強引に抱き寄せてキスした。中途半端な強さで押しのけようとする腕を完全に封じこめ、歯列を割って舌を絡める。閉まったドアに押しつけるようにして、口腔を貪った。

身体が離れたとき、相手は完全に息が上がっていた。濡れた唇をぬぐうその顔には狼狽がありありと現れている。それでも乱れた髪を直しながら、赤い顔で精一杯去勢を張った。

「よく知んないけどさぁ…こういうことは、あの女とやればいいんじゃないの?!」

「あいつは、この酒場の常連の女だ。ヘタに手出しは出来ねぇ。」

「やっぱりやりたいんじゃないか。」

「俺は何でも欲しいんだ。そんなの、知ってるだろ。」

鋭い目で上目づかいに睨みながらも、ぐっと言葉に詰まる様子に男の情欲はますます煽られる。

「でも、今はお前が欲しいぜ。」

「だから人間の真似事なら他の奴とやれって…」

「わかってねぇな。」

遮ってたたみかける。

「人間でも女でもない、目の前にいるお前が欲しくなったんだ。今すぐに、ここでだ。」

「…糞が。調子に乗りやがって。」

吐き捨てるような声。しかしそれとは裏腹にその頬がますます紅潮するのを男は見た。

「おいおい、随分と剣呑だな…。どうした。折角の再会だってのに、一体何が気に入らねぇんだ?」

「何が、って…今更、こんな、」

追い詰められたような顔で相手が唇を噛む。突き上げる感情とそれを口にすることの躊躇がありありと伺えた。

「……あれから一ヶ月も…」

自分のことを放っておいたじゃないか、と最後まで口に出せないプライドがいじらしい。

「先週俺はセントラルにいたぞ。仕事でいなかったのはお前の方だ。」

嘘ではなかった。付近で用事があったついでに本拠へと足を伸ばし、他の仲間達には敢えて知らせずに細身の後ろ姿を探した。ただし、その後連絡を取ろうとはせずに放っておいたのも事実だった。
それでもその一言は相手の態度に絶大な効果を及ぼした。エンヴィーの赤い瞳が見開かれ、一気に剣呑な雰囲気がゆるむ。
その隙を突いて間合いを詰め、だめ押しのように耳元に息を吹きかけ囁いた。抱きたい。

エンヴィーは墜ちた。



続く
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