打ち棄てられた煩悶 魂無き残骸 |
その苦しみに名を与えよ |
せめて 立ち上がるための (嫉 妬) 「……僕たちは 造られたんじゃない」 「生まれたんだ」 |
【作者後記】 ダンテも出てくるので果たしてエンヴィー単体コーナーに置くべきか迷いましたが、かといってカプ話のつもりでもないので…。ダンテ顔が見えないし。あくまでもアニメ版エンヴィーの誕生シーン妄想ってことで。 えー…とはいえ、様々な疑問が吹き出してくるとは思いますが… ・ホムンクルス体積多すぎるw(どう考えても二、三人分錬成されているww) ・ダンテがすっかりライラ(そのはずはない) ・そもそもエンヴィーは紅い石を食べて人の形になったのでは?画面では勝手に変身してるみたいだけど? →スルーしていただければ大変幸いです……。 私は漫画版エンヴィーばかり描いてますが、アニメ版エンヴィー独自の設定にもそれなりに心惹かれてます。両者が一番違うよなって感じるのは、アイデンティティの問題に関して、ですかね。 漫画版のエンビって、人間に対するコンプレックスはありながらも、「少数派であるホムンクルスたる自分」「ホムンクルスは優れているんだ!」みたいな、ある種、マイノリティとしての自覚と誇りみたいなのは結構しっかりしてる気がするんですよ。漫画世界でのホム達は「お父様の魂を分けた」という点で魂の由来もはっきりしてるし(魂がないと人体錬成してもちゃんとした人格をもった人間を作れないという設定もありましたよね)。超絶少数派だから世の中には認知されていない辛さがあるってだけで。 対してアニメ版では、人体錬成の結果誕生する「魂のない人間の出来損ない」がそのまま成長したのがホムンクルス。結果、ホム達は「私は誰」「私は誰かのコピーなのか」という不完全感、欠落感につきまとわれる。そして、その問いに与えられる解決策が「人間になること」だと思わされている(ただし、ダンテの真の目的を知っているエンビは別)。 だから、少なくとも「自我」「アイデンティティ」という問題で考えた場合、アニメ版の方が何だか重いというか、やりきれなさ、しんどさがあるようにみえるんですね。設定の緻密さとしてはやや微妙に思うこともあるんですが…(「そもそも魂がないって具体的にどういう状態なの?」とかねw漫画版はこの辺がクリアーです) ……あれ、ただの後書きのつもりがまた妙に語ってますね(汗 余計ついでにこの作品についても少し。 毎回不十分な長さ、短いつぶやきみたいな作品ですが、テーマは(re)naissance、つまり(再)生ということと、あと名前です。全体的に匂わせたかったのは、それでも名付けるってすごいことなんだよな、っていうことでした。寝転がっている残骸のようなモノを、「息子であった人の出来損ない」じゃなくて「エンヴィー」という別の名前を付ける。そこから、差異化され、別の存在が生じてくる。まさに「エンヴィー」でしかない何かが生まれる。物質的にだけではなく、人間の関わりの中で、社会的に生を受ける瞬間がそこにある…みたいな。そういう気分で描きました。 珍しく色塗りをかなりまともにやってみた…つもりだけど、やっぱなかなか難しかった!背景とか全然描けなかったし、フォトショップのレイヤーがカヲスってますw まあ今後の課題ってことで… なお、最後の「僕たちは…生まれたんだ」は、原作でエンビが登場した時に言った台詞を少し変えたものです。アニメの台詞もぐっとくるのが多いですよね。 (2008/11/01) |