ピストル

その日、会った途端相手が言った。
今日は面白いモン持ってるんだ。見せてやるよ。
まるで珍しいオモチャを手に入れた子どものような楽しげな声。腰に下げた袋から何かを取り出し言った。最新式の銃だよ。人間達が作ったんだ。

自慢げにかかげたられた黒光りのするボディに、午後の光が鈍く反射する。重量感はあるが掌に馴染むサイズ。男は目を細めた。

「撃てるのか?」

技術の後れた未開の地を走らされていた男は、まだ、このサイズの銃器を扱ったことがなかった。

「もちろん。」

当然とばかりに余裕の笑みを浮かべ、相方は胸を張る。そして、軍に多少手ほどきを受けたと続けた。

「今までのやつは弾を込めるのが面倒くさいし、弾の速度も遅いから使い勝手悪かったんだよね。何より重いから持ち運びも不便でさぁ。これで仕事が随分楽になるよ。」

肉弾戦は苦手だからねぇ、そう言って笑う。



その日、エンヴィーとグリードはアメストリス南部の国境に近い、森の中にいた。
簡単な仕事。小さな集落を偵察しに来たのだった。

「あれか。なるほどな。」

「そう。南を攻略するにはもってこいの場所なんだ。もし戦争が起こったら、ここが生命線になる。でも、この村の奴ら、アメストリス人だけじゃなくて、半分以上アエルゴ人だからさぁ…」

「で、俺の出番なのか?」

「うん。二、三年かけていいからさ、この辺のマフィアとか適当に使って村人同士の民族対立を煽ってよ。そんで、アエルゴ系のやつらを追い出して。必要な資金はこっちで用意する。」

その頃、アメストリスは今より小さかった。サウス・シティもアエルゴの支配下にあった。そして国境付近では異民族同士入り交じって住んでいて、まだ戦争は遠かった。

「そそのかして、仲間割れを誘えってか。えげつねえなあ。俺はてっきりこの村ごとつぶせっていう命令かと思ってたぜ。」

「あ、もうちょっと小さい村だったらそれも考えた。でもこの町、半端に大きいからさぁ。いきなりホムンクルスが襲撃したら人間達が騒ぐし、その方が面倒くさい。」

「ハ、面倒くさい、か。」

「人間たちのことは、人間たちに手を下させるのがいいんだ。こっちが仕掛ければ、やつら簡単に動くよ。」

実際、火種はいくらでもあるからね。語る彼(彼女)の赤い瞳が生き生きとした光を宿すのを、男は見た。

「…お前も、作戦の決定に加わってたのか?」

「ん?ああ、まあね。大枠を決めたのはラストと、あとプライドだけど。」

「ほぉ、出世したモンだな。…道理で、ラストの考えにしちゃえげつねえ作戦だって思ったぜ。」

グリードは正直なところ、驚いていた。父が委ね、プライドが方針を決め、ラストが指令を行う。エンヴィーはただの実行部隊だと思いこんでいたからだ。

たしかに前よりも、エンヴィーの役割が増しつつあることを感じとってはいた。事実、最近国境を越えてよく走り回っているし、発言力も増しているらしい。
だが、それでも彼(彼女)のことは基本的には中央の指令を伝える伝達役でしかないとみなしていた。中央から離れて単独行動を任されている自分の方が格上だろうと思いこんでいたのだ。それが、こんなふうに中央の作戦にまで口を出すようになっていたと聞くと、兄としては微かな狼狽を覚えずにはいられない。
しかも南は本来なら男の管轄地域であるはずだった。彼は南から東の広い範囲にかけて、セントラルでは把握出来ないような辺境の情報を供給することを得意としていたのだ。

エンヴィーとは違い、男は父の「計画」に協力することに、微塵も情熱を感じていなかった。むしろ鬱陶しい仕事だとすら思っていたから、仮に自分の仕事が彼(彼女)に奪われつつあるとしても、それをとやかく言う気はない。
問題なのは、いつの頃からかセントラルからの指令が、どちらかというと男の行動に制限をかけるような内容になりつつあったことだ。少なくとも男はそのように感じていた。
エンヴィーが(あの格好で)国境を越えて雪山や沙漠に出向いているというのに、ここ数年、男は常に某かの理由と共に国境の内にとどまるような仕事を割り当てられていた。
今回もそうだった。国境線上の微妙な地域とは言え、さほど重要そうでもない拠点に数年ものあいだ自分を縛り付けようとしている。

(気に入らねぇ。)

(本来なら俺の縄張りであるはずの南で、どうしてこいつが指揮を執る?)

(それも俺をセントラルに呼んで、直接伝えりゃいいような内容の仕事を、わざわざ、)

自分が父から信用されていないような気はしていたが、それも今までは印象のレベルに留まっていた。だが今、無邪気なほど誇らしげな表情で笑みを浮かべるエンヴィーを前にして、男の胸にはっきりとした疑念が形を取りはじめる。

(まさか、)

(――罠?)

冷たい予感が背をよぎり、刹那、男の注意は目の前の光景から逸れた。だが傍らの存在はその一瞬を逃さず、朗らかな声を出す。

「ん、どうかしたぁ?」

微かな狼狽。男は目を合わせないまま、少し強引な仕草で少年のような身体を引き寄せた。まるでそうするのが当たり前というように後ろからかき抱き、耳元で囁く。

「そういや、お前と組んで仕事するのは珍しいな。」

対する彼(彼女)も馴れたもので、唐突な抱擁を当然のように受け入れながら振り返って男を見上げ、ちらりと流し目。かすかに含み笑いをした。

「最近、こういうことしてるからじゃない?」

赤い舌がちらりとのぞき、半開きの唇をなぞる。その濡れた輝きに引き寄せられるようにして男の接吻が落ちた。
無骨な手が長い髪の伝う背を撫でるのに応え、しっかりと男の背中に腕を回す。

だが顔が離れたとき男の瞳にふと冷めた光が宿った。

「俺たちに…セントラルのやつらが、気づいてると思うのか?」

「多分ね。」

「何か言われたか?」

「いや、何も。でもきっと知ってる。」

プライドがいるから、聞こえるか聞こえないかの声でそう付け加える彼(彼女)。

「そうか。」

グリードは最近セントラルに近づかないようにしていた。エンヴィーと会うときは特に避けていた。

「まあ、別に俺はどうでもいいんだがな。知られようが知られまいが何がどう変わるってモンでもねぇし。仕事に関わりねえことで、あれこれ言われる筋合いねえし。」

少し嘘だった。理屈で言えば確かに、自分とこの兄弟が何をしようとセントラルの同胞には関係がない。仕事の遂行にも差し障りは出ないだろう。だが、それについて彼らが全く何も感じないとも思えなかった。特に父が何を考えるかは全く読めない。計算が出来ない。男はそのことに幾分かの緊張感を感じていた。

「……………。」

エンヴィーは俯いたまま答えない。じっと地面の一点を見つめる赤い瞳が葛藤を物語っていた。だから男は穏やかな声で訊いた。

「でも、お前はいやか?」

「……そんなことないよ。」

ふと、何かの覚悟を決めたように静かな目で見上げ、こんどは彼(彼女)の方から、キスしてきた。










「お帰りなさい。首尾はどう?」

「言われたとおりにしてきたよ。」

「そう。」

「で、三年間、見張れってわけ?あいつを。あのクソ田舎でさぁ…。」

「お父様は、確かめたいと思っておいでなのよ。計画が最後の段階に入る前に。」

「…………こっちだって他に仕事があるんだから…。」

「精鋭が必要なのよ。どんな命令でも疑問に思わず遂行する忠誠心、さもなくば試されていることを察して期待に応える頭の良さ。…同胞としてこれからも働き続けてもらうためには、このどちらかが絶対に欠かせないわ。」

エンヴィーは太い配管パイプに足を組んで腰掛け、手持ちぶさたそうに頬に垂れた一筋の髪を手でもてあそんでいた。一見、平静を装った仕草。しかしその瞳は床の上の一点を見つめたまま動かない。ラストは傍らに腕を組んで立ち、彼(彼女)の様子をさりげなく観察しながら、なおも淡々と語り続ける。

「そのための準備はしすぎるということはない。疑いが残ったまま、次の段階には進めないわ。そのくらいあなただって、わかっているわよね?これは大事な仕事なの。」

「………………。」

無言のままエンヴィーは肯定を表した。髪をもてあそんでいた手がぱたりと気だるげな音を立て膝に落ちる。

「大丈夫、三年なんてすぐ過ぎるわ。きっと何も起こらない。」

ふっとラストの唇のはしに柔らかい笑みが浮かんだ。それを視界のはしに捉えたエンヴィーの肩が、わずかにだが、ぎくりとこわばる。

「そんな顔してないで、良い機会と思って楽しみなさいよ。もう逢いに行くのを私たちには隠さなくてもいいんだから。」

「…あんたいやらしいよ。おばはん。」

皮肉っぽく口角を上げ、ぎりぎりの余裕で悪態をつく、その唇が震えた。色欲はどこ吹く風という笑顔で受け流す。

「楽しいのは良い事よ。それに、」

豊かに波打つ長い髪を掻き上げる。嫉妬と同じ漆黒。そして、女はちらりと笑いを含んだ流し目をくれた。見知ったいつものあだっぽい仕草。

「――自信をお持ちなさいな。」

「はっ。自信って、何の?意味わかんないなぁ。」

嗤いとばす。狼狽が突き抜けたのを気取られないように、大きな動作で肩をすくめて見せた。

だが同時に、彼(彼女)はいたたまれなくなる。姉の笑みに、あらゆる男に劣情を抱かせずにはおかないその仕草に、改めて自覚してしまったからだ。

さっき森の中で、男の探りを誤魔化すために微笑んで見せた自分の顔は、きっと、この姉に似ていた。無意識のうちに真似をした。媚を売った。
そして今、姉の前ではしらを切り、今度は殊更に人間の少年のように振る舞ってみせている。踏み込まれないため、別の顔をした自分を知られぬため、守るために。
一貫しない不定型な自我。


だが辛いのはそれではなかった。彼(彼女)が唐突に、切ないくらいの気持に襲われた本当の理由、それは、グリードがそのような己の嘘にひっかかるという事実だった。同じ事をしてもこの姉を騙せる確信はほとんど無いが、あの兄を騙せていた自信はあるのだ。


――ラストに似せれば似せるほどあいつの目を欺くことが出来る。


ほんの少し前、セントラルでラストといるところに男が訪ねてきた。南部にばかりに居座っていた彼には希なことだった。そのとき居合わせたことを後で後悔した。男のラストを見る眼差しに、何気なく悪態をつく表情に、ラストへの賞賛を、密かな欲望をかぎとってしまったからだ。

苦い事実。グリード本人は否定するだろうが、恐らく自分はそのことをもうずっと前から何となく気づいていた。誰の表情を真似れば、性別も年齢も曖昧な己の外見を最大限に生かしつつ、男を欺けるのかを。
わかっていて、それでも今まで敢えて考えないようにしてきた。気づかないふりをしていた。
気づいてしまうと、そもそも男と関係を持ったあの最初の始まりすら、実のところが怪しく感じられてくるからだ。あのときほんの一瞬でも、自分は姉のような顔で誘惑しなかっただろうか。男は己の内に姉を探しはしなかっただろうか。よくわからなくなってくる。たとえそれが無益な問いだとしても。


いや、憂鬱の種はそれだけではない。
既に物事は違う色をまとって見え始めていた。エンヴィーはグリードが強欲であったことを改めて思い出しただけではなく、男のいくつかの行動に不審を持ち始めてもいたのだ。何故セントラルに殆ど戻らないのか、人間との情報交換が必要以上に多すぎないか、お父様の仕事をちゃんとこなしているのか――
そして自分はそのグリードに請われるままに情報を流しすぎていないか。
自分を胸に抱きながら、耳を傾ける男の瞳は覚めた輝きを宿してはいなかったか。

そんなとき、グリードを見張れ、というプライドの指令がラストを通じて下りてきた。
それは茫漠としていた疑念の数々に形を与え、エンヴィーを現実に立ち戻らせずにはいられなかった。





がんばりなさいな、艶やかな声で言い残し、ヒールの音を響かせ姉は闇に消えた。
弟にも妹にもなりきれない細身のホムンクルスは、一人残され、ため息をつく。

ゆらり立ち上がると、腰に下げたままのピストルが重く揺れた。

取り出す。無造作に配置された照明が、舞台のスポットライトのように銃身をきらめかせた。闇に向かって構え、よく見知った顔を思い浮かべる。
短い間に既に愛しく、そして今は憎くすらあるようなあの男の顔を。


「バン。」


引き金は引かず、つぶやきのような声だけ薄闇に溶けた。

舞台の幕はまだ、上がったばかりだ。



END




ひさしぶりにグリエンです。
時代設定としては、アメストリス暦1799年のソープマン事件より少しあとくらい、という感じで考えています。グリードは1800年代に離反しますが、グリードが出ていく前後っていうのは1811年に西部で起きるウェルズリ事件、南の国境拡大につながる1835年の第一部国境戦(錬成陣の内円がほぼ完成)と、アメストリス国境が大きく動いた時期なんですよね。何が起きたんだろうとか妄想して楽しいですw

この小説、実は2012年に出したグリエン小説本に入れようかと思っていた小話でした。でも間に合わなくて放置してたのを、今回かなり加筆修正しました。遅くなっちゃったけど、何とか形に出来てよかったです。
お読み頂きどうもありがとうございました!
(2015/3/16)