モドル | モクジ

  Offered  

あれは何度目かの情事のあとだった。
最初は随分難航したのが冗談だったみてえに慣れて、それどころかその辺の女より筋はいいんじゃねえかと思えるくらいになっていた。

すっかりご満悦といった様子で奴が言ったのだ。

「ねえグリード、訊きたいことがあるんだ。」


普段から想像できないような、甘い声。
俺はとっさに、次の台詞を予測する

(私のこと好き?とか言わねえだろうな。)

人間の女と少し仲良くなると、愛しているかなんて訊かれることがあった。そして何故かは知らないが俺はこの問いが苦手だった。
だが、幸い予想は外れた。

「この身体は好き?」

ちょっと不意打ち食らった。

「……ああ。まあな。」

他に何か言うべきなような気がしたが、俺としたことがとっさに返す言葉を失った。
もともと強欲だが、己の何倍もある図体のバケモノを抱きたいとまでは思わない。
確かに、今のこの人型の形態に強烈な関心を持って、ここでこうしているのは間違いない。

エンヴィーはにっこりと笑った。






用事があって二人、暑い地方にいた。
それも結構田舎で、十分ほど歩いてようやく人家を見つけるような場所。

当然、セントラルの方に普及しだした水道とやらもまだ来ていない。
真っ昼間に身体を重ねた後、井戸水を汲んできて廃屋の裏庭で身体を洗った。
順番は先にエンヴィーに譲ってやった。

水を張った大きめの桶に座らせる。既に水は程よく陽光で暖まっており、気持ちよさそうに奴は目を細めた。
その上から、手桶で汲んできた新しい水をかけてやる。うわ、冷たい、とクスクス笑い身をすくめた。

「目閉じてろ、上から水かけるぞ。」

「ん、」

上を向いた額の上からそっと手桶を傾けた。
冷水が閉じた目蓋の上を伝い、頬から顎へとしたたり落ちていく。
どこまでも明るい昼下がりの光の下、いつまでも日に焼けることのない白い肌に、長い黒髪が張りつき、濡れた輝きを放つ。
瞳を閉じたまま全てを委ねるような刹那の表情が、目に焼き付いた。

――例えばこういう瞬間の感情を、何と表現すればいい?

わからない。

「身体が好き。」

それは一つの答えだ。

だが、それは答えの全てではない。



「何、見とれてんだよ。グリード。」

夢から覚めたように我に返った。

髪をかきあげ、身を乗り出すようにしてにやにや笑う顔。赤い瞳が瞬き、頬から水滴がしたたる。いつもの小憎らしい表情に戻っていた。
全裸で腰を水に付けたまま、裸の上半身と無造作にあぐらをかくようにした膝が桶から突き出ている。
このクソガキ、と思ったが図星だから仕方ない。先程からやたら外見をネタにすることに違和感を覚えつつも、あっさり認めて開き直る。

「何だ、見とれたら悪ぃのか。」

だが次の瞬間驚くべきことが起きた。
俺の言葉に一言も返さないどころか、みるみる相手が真っ赤になったのだ。

「…おい、顔赤いぞ。」

俺がのぞき込むと膝の上に組んだ腕にそのまま顔を突っ伏した。相変わらずというか、時々妙なところで読めない行動を取る奴だ。

「自分で言ってて、何照れてるんだ?」

「…うるさい。」


しかもその後、顔も上げず押し黙ってしまった。
陽光がじりじりと背中を焦がし、威勢の良い虫どもの声が沈黙を侵していく。気だるい。いつの間にか足下を這い上がってきた蟻を追い払っていると、ようやく奴が口を開いた。

「かわいいとかきれいとか……本当は自分で言ってるだけでいいんだ。」

腕に顎を載せたまま、目線だけ上げる。
もう照れてはいなくて、奇妙に静かな光が目に宿っていた。

「事情を色々知ってるヤツに真顔で言われても、調子狂う。」

「なんだ、ややこしいやつだな。自分で言ってるくせに人に言われたら嬉しくねぇのか。」

眉間にうっすらとしわがよる。複雑な表情が一瞬通り抜けたのを見た。
数秒の躊躇があった後、唇を開く。

「どうせ、本当の身体じゃない。」

はっとするような低い声。いつもの人を食ったような話し方とまるで違う、張り詰めた口調だった。

「これも、与えられた仮の姿でしかないんだ。だから…」

「…それは他のヤツだって、ある意味そうだろ。」

生まれてくるときに姿を選べる者はいない。ただ、今のお前が特別なのは外見を自由に選べるってことだ。他の奴らは選択肢が一つしかないから与えられた姿を「本当のもの」と思うしかない。要はそれだけのこと。
少なくともそのとき俺はそう考えていた。

だがエンヴィーは答えない。ゆらゆらと淡い光を反射する水面を片手ですくい、手首から腕を伝って流れる水を目で追いかける。水音。






(瑞々しい皮膚、しなやかな筋肉。若くて美しい人間の、からだ。)
(憧れていた。)
(欲しくてたまらなくて、もうずっと長いこと嫉妬していた。)
(だからこの姿を進んでもらいうけた。他の姿へと変わるための能力と共に。)

(そして綺麗だと言われ触れられ、一旦は、易々と幸福感に呑み込まれた。)
(ヒトを模したこの形でヒトがするようなコトをして、他愛なく悦びに満たされた。…もう何度も。)


(だけど最近、何かが軋み始めてる。)
(賞賛を意識するたび影が差す。だんたん濃く、くっきりと。)
(今もそう。一旦は喜び舞い上がった後で、急に我に返りいたたまれなくなった。)

(だって偽物なんだ。ぜんぶ。)
(この人型、白い皮膚、肉の身体。見られ、触れられる限りのすべて、まがい物。)

(本性は醜いドロドロの怪物。)


(しかもこの皮膚の下、額の封印の向こうには、)
(もう一つ、お前すら見たことのない姿がある。)
(誰もが知らない、矮小な存在。精神の座。)
(一番思い出したくない、見られたくない。)


(考えないようにしてきたけど、もう限界。)




ばちゃん、と水音がした。エンヴィーが掲げていた手を水面に落としたのだ。俯いたまま、頬に水面の光が映っている。

「…でもあんた、本当は思ってるだろ。」

沈黙の後、無理に感情を抑えているかのような、抑揚のない声でつぶやいた。

「何をだ。」

「不細工のくせによくもまあ、こんな形に化けたもんだなって。」

自分でそれを言っちゃうのかお前、と俺が呆気にとられていると、エンヴィーは顔を上げた。唇をゆがめて嗤う。

「こっちも、それなりにわかってんだぁ。一応。…最初のときから。」





(さっき、恐いくらい幸せだった。)
(流れる水を全身で感じていた。)
(何も考えずに、醜い己を忘れ、ただ、身を委ねた。)
(目を閉じて目蓋に透けるオレンジ色の光をみながら、一瞬だけ思った。)

(『このまま身体だけになってしまえれば、どれだけいいだろう。』)
(『本当の姿とか、仕事だとか、自意識と義務の一切を放り投げて、ただ、そこにいるだけの存在に、なれれば――』)
(……と。)

(同時に、そう考えた自分を恥じた。)
(だって誇りを持っているはずなんだ。)
(ここまで来たこと、進化した存在である己に。)
(仲間と共に世界を変えるためここにいるんだから。他の自分なんて、ありえない。なのに、)



(……苦しい。)
(こんな感情の混乱、昔は知らなかった。)





「クソ。我ながら今、すっごいくだらない話してるな。…笑いたければ、笑え。」

吐き捨てるように言ってエンヴィーは悔しそうに唇を噛んだ。切れ長の瞳が何かに傷ついたような表情を浮かべている。
それはどこか遠い場所を見ていて、目の前にいる俺は映していなかった。
どうやら、俺が反応を返す前に何らかの答えが奴の頭の中で出てしまったらしい。さっさと話題を回収しにかかってる。
俺には全くついていけない思考のプロセス。


「…っとにややこしいな。てめぇは。おい、こっち向け。話を勝手に進めるな。」

頬に触れようとしたら素っ気なく手をはたかれた。行き場を失った指をとりあえず引っ込める。

「けなされたらキレるくせに、褒められたら文句言う。一体どうしたいんだ。」

「…別に。どうもこうもないよ。ただ、さっき言ったように思うだけだ。」

「お前可愛くねえなぁ。」

「ははっ、可愛かったら人間ども相手にあんな仕事できないって。」

肩をすくめ、いつもの人を小馬鹿にするような口調で嗤ってみせる。確かにそれはその通りだと一瞬納得しかけたが、相変わらず人の方を見ず殊更に冷めた目をしているのがカンに障った。
咄嗟の思いつきでさっきの手桶をつかみ、中にまだ残っていた水をぶっかける。不意打ちをまともに食らい、奴はこの上なく不愉快そうに俺を睨んだ。

「糞野郎…」

「さっさと場所開けろ。俺も身体を洗いてえ。」

すっかり雰囲気は台無しになったが、俺を睨み付ける目がイイと思った。深刻な悩みの途中あしらわれ向こうは今とんでもなく不愉快だろうが、少なくとも勝手に遠くを見てるさっきの表情より大分ましだ。
俺は剣呑な目をした相手から視線をそらし立ち上がった。


「お前があんまりにもバカだから、俺もくだらねえこと言いそうになるぜ。」

空にはまだ太陽が眩しい。

「俺はなぁ、何でも欲しいんだ。目に入るモノ全て、手の届く限りのモンがな。」

「……その話は聞き飽きたよ。だから何。」

「一度触れたら、そいつの全部を手に入れなければ気が済まねぇんだ。欠けたモンじゃ満たされねえ。」

「……………。」

「確かにゲテモノなだけのてめぇなんて願い下げだが…それなしじゃお前じゃねぇだろ。その部分も含めて、お前だろ。」



思い出す。俺はむしろ最初、こいつを単なる怪物だと思っていた。
性悪だとかえげつねえとか、俺の持っていない能力があるとか、所詮親父殿の言いなりじゃねえかとか、そういうことばかり目についた。
だから距離が変わって別のモンが見えたときは驚いたし、正直、今もずっと驚き続けている。

例えば今日だって、こんな風に予想もつかないことを言い出す。見たこともないような表情をする。
他の奴らはきっと知らないような顔、姿が、どんどん現れる。日々イメージが更新されてく。

エンヴィーという存在、その膨大な情報の一部しか手に入れてなかったことに気がついた。

………だからもっと欲しくなる。この手で確かめなければ、気が済まないと思わされるのだった。

悔しいが事実だ。


だが一方で、俺にはどうしても奴の悩みが理解できない。それも事実。

「だいたい、偽物だどうのって言うがな…いったん自分の手に入れたらそれは全部てめぇのもんだ。要は持ち札ってわけだ。そこに偽物も本物もねぇ、違うか?」

俺にとってこの世界は所有するか失うかというシンプルな二分法で回っていて、それに不満も疑問もなかった。色事にしても、誰かが俺の前で見返りも求めず笑って足を開けばそれは手に入れたということで、拒絶されれば失敗ということだ。それ以上も以下もない。いや、実際にはその間に色々あるんだろうが、とりあえず俺にはさほど関心のないことなのだった。

だが、向こうにとって物事はそう簡単ではないのだろう。


一瞬の沈黙が落ちた後、強欲らしい、と淡々とした声。

「ほんっと、単純だよねえ、いやになるくらい。」

「人がフォローしたってのに…お前とことん可愛くねえな。」

すると向こうが、だけど…と何か続けようとして一旦言葉に詰まった。数秒の後、かろうじてつぶやく。

「…そのシンプルさが羨ましい。」

再び沈黙。
突然ざばりと水音がして、振り向く。
何のことはない。エンヴィーが両手で大きく水をすくって顔を洗ったのだった。しかも随分と変なタイミングで。
そのあと、はぁ、と大きいため息をつき、場所あけてやるよと言って立ち上がった。
惜しげもなく午後の陽光にさらされた全身が濡れて輝き、腰より先まで垂れた黒髪から水滴が滴る。ただ顔だけが、長い前髪をかきあげるようにした手に遮られ、よく見えない。

隠されるとそそられるんだ。単純に欲しくなる。無性に暴きたくなる。

だからすれ違いざま細い身体を捉えた。
わざと驚かせるようなやり方で強引に接吻し、抗って顔を背けたところ、頬を舐める。
閉じた目蓋の周りから微かに塩の味がした。
濡れた頬に隠れた涙。

奴の身体から観念したように力が抜け、がっくりとうなだれる。

「…単細胞のくせに、変なとこだけ気づくなよ…」

「前言撤回してやる。その台詞は大分可愛いぜ。」

からかいながら、しかし、ふと脈絡もなく妙なことに思い至る。

それでもこいつは、自分自身を好きになれという言い方はしないのだ。
これまでも、構って欲しそうにはするし嫉妬もするが、愛についてはまともに問うたことがなかった。
せいぜいが今日みたいに身体の話。
もともと、そんなことを思いつきもしないのか、それとも――――


考えても分かるわけはない。何より俺自身が、情愛の類をきっと完全には理解していないのだ。
頭から思考を追いやった。もう離せよ、と逃れようとする相手をそのまま抱きしめる。

頭と背を撫でたら、見下すなよと最後の抵抗をして、泣いた。






END



【管理人後記】

祝20巻発売&新アニメ化!
自分の中ではまだ祭りが続いてますw

そして泣きネタスイマセン(しかもエンビを全裸で水浴びさせたかったのが見え見えな展開)。
20巻でクリオネ型なエンビ本体があまりにも切なく泣いていたので、外見のことではやっぱ泣けるんじゃないかとつい妄想してしまった。特にうっかりと恋愛っぽい事態にでもはまりこんでいたりしたら余計に…泣くよなあ、と。
(以下、ちょっとくどいですが語り入ります…。)

グリードが「愛がわからない」云々というのは、まあ、妄想設定ですが、敢えて自分の感情を「欲」で説明しようとしたり(対ブラッドレイ戦)、20巻でのリンとの会話でも、感情の話に関してはリンに押されてる!という印象を受けたのでこういう方向に来ました。行動や態度ではちゃんとそれなりの情を示せるんだけど、感じたことをうまく言語化出来ないし、自分でもちゃんと意識できてない感じの人っていうか。
あと、個人的にエンビについては「実は愛されたがり屋なのに、愛されないこと、許されないことが前提で周囲と接してる」みたいな妄想設定をしてしまっています。20巻でやられたとき、命乞いもせず悪態を突き通し、少し後で「喋ったら殺されるって分かってて誰が教えるか」(=情報をあげることで優しくしてもらえるとか微塵も考えない)みたいな台詞を吐いてるのを見て、あーこの子、他者に存在を否定されることに慣れてるんだわ、という印象を持っちゃったから。自分が条件なしで受け入れられる場所があるとは考えない人の思考法を感じた。

そして仮にこうして兄ちゃんの胸で泣いても(←何かこの表現恥ずかしい…)救われないんだろうな…というのがごく個人的な解釈でもあります。あの素晴らしい究極の肉体があるからこそ、元の姿が受け入れられない。残酷な解釈ですいませんが、ある種の等価交換というか、快楽や全能感の源でもある身体が苦悩の源泉でもあるんじゃないかなあって。この種の苦しみから逃れるためには、それこそ身体か精神のどちらかを壊すしかないのではないか。だからこの作品では、うっかりと(色恋沙汰のせいで)ほんの一瞬だけ、精神を放棄したくなるエンビを妄想してみました。原作の20巻はいわば、身体の方が吹っ飛んじゃった形と考えてます。その後どうなるかは作者様のみぞ知るわけですが…。

なお、私は大分遅く鋼にハマったので、エンビに目覚めたとき、既に原作ではその本体(巨大な方ではなく)が暴かれ展開になっていました。エンビのいたいけな肢体に萌えて間もない頃だったので衝撃を受け、しかしそれだけに、ものすごく強く心をわしづかみにされちゃいまして。以後、どんなカプを考えてても「本体はあれなんだなあ…」としみじみ思い返しながら萌えるという倒錯した状況になってます。
いや、その、雰囲気ぶちこわすような事書いて申し訳ないんですが、でも、自分にとってはその設定があるだけに愛しちゃいました。この(ファンとしての)愛し方も、一応、「エンビにまつわる見えていなかった膨大な情報の一つ」を手に入れて余計にハァハァという類の愛……のつもり。

最後に、タイトル(毎度、この辺がくどくてすいません)は、「与える、捧げる」の意味がある動詞、offerから選びました。外から(例えば神様から)与えられたように感じるのに、見られて自分の一部として意識したり、はたまた他人の前にモノのように捧げる気持ちで差し出したりとか、とにかく身体をめぐって人間が日々感じる微妙な感覚とつなげたかった。

毎度のことながら後書きが長くなってしまいましたがとりあえずこの辺で。


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