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  存在証明  


終わったのね、と独りごちるように女は言った。
ああ、終わったんだよ。答えたのは声、まだ甘さが残る少年のアルト。女は顔を上げる。視界の中、見慣れた細身の姿が立っていた。悔しいわと唇を噛めば、相変わらずどこか詰めが甘いよねぇと笑う。

「意地悪なこと、いうのね。でも本当だわ。それで全部失ってしまった。あれだけ…網を張ったのに。」

あっけない最後。誤算に次ぐ誤算。四百年の努力が全て、水の泡。代価はいつもほんの少し足りない。女は知っていた。そして少年も。

「自分でいつも言っていたとおりだろ。いつも…足りないのさ。代価は。」

「…あなたにとっても?」

少年は無言で微笑んだ。女性には見慣れた、片方だけの口角をあげ引きつるようなあの皮肉な表情。
何気なくいつも見ていて何も思わなかった。なのにこうしてここで出会うとほっとするのは何故かしら。滑稽だわ。女は自嘲する。

「門が見えるわ、行かなきゃ。」

霞む風景、彼方にそびえるは肉体の門。魂の通路。女にはわかっていた。自分達は消滅の手前にある世界にいる。過去と未来が混線している全ての狭間。二つの世界、生と死、善と悪、光と闇の。もう時間がないのは知っていた。

「そう、行くんだね。」

何でもないことのように少年が笑う。彼にはどうでもよいのだ。そして女もそれでよかった。

「ええ。」

霧の中を女は進んでいく。そびえ立つ巨大な門の前に見知ったレリーフ。生命の樹。手をかけたとき、ふとあることを思い振り返る。少年はまだそこに立っていた。緑すら帯びて見えるほどに黒く長い髪。後ろ手を組んで悠然と微笑みながら、でもじっとこちらを見つめている。

「…どうしてあなたに会えたのかしら。」

「さあねぇ。」

「よかったわ。」

「そうなんだ?どうして?」

「最後に一つだけ、訊きたかったから。」

「へえ、何をさ。」

「……気づいていたんでしょ?私の本当の、目的。」

ホムンクルス達を人間にしてやる気など無かった。
全ては己が欲望のため。永遠の命のためだった。

少年の瞳が一瞬大きく見開かれる。そのあと、はははと声をあげて笑った。話の内容にまるでそぐわぬ屈託のない笑顔。

「そうだよ。騙されたふりをしてやった。」

「どうして?」

「どうしてそんなことが気になるんだい?もう意味がないのに。あんたは…逝くんだよ?」

「だから、よ。」

少年が組んだ腕を両脇におろした。長い前髪の隙間から覗く紫の瞳が、静かな、しかし激しさを秘めた光を宿す。そして痛いほどに真っ直ぐな視線で女を見据え、告げるのだった。

「…人間達が苦しむのを見ていたかった――――あんたも含めてね。ダンテ。」

「恨んでいたのね。私を。」

哀しむように、しかしどこか恍惚とした眼差しで女が応える。もう何人目か分からない身体の、切れ長な黒い瞳。
偶然にもそれはどこか少年の眼差しとも似ていた。
エンヴィー、まがい物の子供、失った息子の代償になり損ねた存在に。

「お前達が全て滅びたとき、自分が生まれた理由を忘れることが出来る。」

彼女の質問には直接答えず少年が言い放つ。厳かなまでにきっぱりと。
だが対峙する女の唇はうっすらと微笑みを浮かべる。まるで愛の告白を聞いたかのごとく。

「あなたのその姿、とても好きよ。」

そして恋をする乙女のように狂おしい熱をこめ、歌うように囁くのだった。

「あなたは私の息子じゃない。似ているのに似てない。」

「あらゆる意味で、あなたは私の罪の証。あなたのおかげで、私は母ではなくなった。そしてきっと人間の女でさえも。」

無言のまま、エンヴィーの虹彩が揺れる。だが視線は一瞬たりとも逸らさない。
まるで愛の交歓のように二人、眼差しを交わし合っていた。

「あなたは私の――四百年の存在証明。」


だから最後に会いたかった。地の底へと旅立つ前に。
私を捨てたあの男よりも、私のお腹を痛めて生まれ勝手に死んだあの子よりも、他でもないあなたに会いたかったのだと女は言った。

さよなら、私いくわ。
きっと私のことは、追いかけては来ないわね。
もう会わない。二度と。

だから、会えて本当に………嬉しかった。

少しずつ門が開いていく。隙間から漏れる光。女は躊躇わずに歩を踏み出した。
一人で逝った。








そしてまた長い沈黙。

静かな、静かな空間に染み渡るように、少年のつぶやきが落ちる。

そうだ。あんたは僕の母親なんかじゃない。でもそれでよかった、きっと。
生まれたとき最初に見た人。一度目の時も二度目の時も、頼みもしないのにそこにいた。躊躇いもなく僕を利用することを考え、餌を当たえた。
母を捨て、女を捨て、あの男を憎み、人間であることさえも捨て去ろうとした人間。
利用し合い騙し合い、同床異夢も甚だしい。

魂なんかいらないだから貴方が羨ましい。僕をのぞき込みそう言って笑ったあれはいつの記憶?
余分な感情と過剰な欲求を抱えひたすらあがき続けた女。
ひたすら憎み、苦しみ、前を見据えながら醜く地を這うように生きた。
そして子飼いの怪物に喰われあっけなく命を落とした。

魂なんてなくてどうせ欠けている心。見送った後ろ姿に感慨もなく、行く先を知ろうとも思わない。


だけどそれでも今………ぎりぎりのところで満ちる情がある。



そうさ、認めるよ。

そんなあんただから――――騙されたふりをしてもいいと思った。
数世紀もの間、片時も離れずに側にいた。



化かしあい軽蔑し合いながらも、居場所を分かち合ったね。
同じ修羅を生きた、唯一無二の存在。僕だけが知る記憶の集積。

四百年の共犯関係。



他の誰が知らずとも、一人噛みしめる。
降り積もった時間の重み、その存在の確かさを。

それは消滅の時がくる直前、刹那の思惟に刻む感情。





今度こそ全てを、忘れるため、

完全に、安らかな虚無へと還るために。






END




【作者後記】

多分すっごい珍しいI期アニメ、ダンテとエンヴィー話を書いてみました。
この二人…実は気になってしょうがありません。超マイナーなカプ(?)だけど。
アニメ見たとき「うおーこの人間関係ってなんなんだぁぁーー!」と(笑
母子みたいだけど母子っぽくない。だけど化かし合いながら、結局最初から最後まで側にいるあたり、やっぱお互いを切れなかったんだなあって感じる。この辺のさり気ないもつれ方、もたれ合い方にはなんつうか…母子関係的でもあるような。
とにかく考えると何だか思考の迷宮に入ってしまう組み合わせです。
そもそも四百年の共犯関係ってどういう感じだろう…

いやヤヲイ好きとしては多分、エンエドハァハァとか言うべきところだったんですけどね。

あと、途中に門のレリーフが「生命の樹」という表現が出てきますが、これちょっと嘘です。生命の樹(エデンの園に生えてるヤツ)が出てくるのは確か原作漫画版の門の方で(例えば13巻とか)、資料集を見る限り、アニメ版の門には目が描いてあります。だけど、「目が描いてあった」じゃカッコつかないから……違う方使っちゃった。(2008/10/24)
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